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集団ストーカーはからかいの楽しみがトドのつまりに?|日々の出来事

この集団ストーカーというのは戦後の日本の関係の中で、からかって楽しんでいたものが、トドのつまりに近づいてきたのかな?

と、いう感じです。
からかって楽しみながら、お金儲けをしていたのだと思います。
(やゆされていた日本人?)

トドとは皆さんもよくご存知のボラのことです。
海にいるボラのことです。

ボラも出世魚で大きくなるたびに名前・呼び方が変わります。
そのボラの最終的な呼び方が「トド」です。
(ハク→オボコ→イナ→ボラ→トド)

これ以上、出世はないという意味でもあります。
(とどのつまりというのはそのような意味でもあります。)

この集団ストーカーに限らず、この世の中というのは対峙する状況の中に置かれていました。

ライバルを作られて対立するよな状況下に置かれていました。
何をするにしても、一人勝ちの出来ない状況にされていました。

それによって利益が生み出されていたのだと思います。
明らかにこの集団ストーカーも、対峙を余儀なくされている環境です。

ですがこれからはこの対峙が、この対峙に変わってきているのかなと思っています。
それがこの「退治」です。

そのようになっていくのかなと思っています。
そうしなければ、けじめがつかないと思いますし、この世の中が良くならないと思っています。

みなさんが、どうお考えになっているのか分かりませんが、少なくともわたしはそう思っています。

考えてみてください。
技術の進歩があれば、その技術によってその現象が少なくなるあるいは良くなるはずです。

ですがその真逆になっているのが、現在の世の中です。
病氣と言われているガンを取り上げても、そのような現象になっていませんか?

少なくなるどころか、逆に増えている?
なんで?

と、思いませんか?
薬も医療も進歩をしているはずです。

ですのになぜ?
と、思いませんか?

わたしは見せ掛け、ごまかしだと思っています。
病氣を治すように見せ掛けて、逆に増やしている?

そこには、その業界の金儲けが行われていると思っています。
治すように見せ掛けて、逆に増やし金儲けをしている。

わたしはそう思っています。
みなさんがどうお考えになっているのか分かりませんが、わたしは少なくともそう考えています。

女性の方には関心のあるダイエット商品などを考えてみても同じことが言えると思います。

ダイエット関連の商品があれやこれやと世に出てきます。
たぶん、何かを試された方もいると思いますが、続きますか痩せましたか?

と、お聞きしたいですね。
リバウンドは起きていませんかとお聞きしたいですね。

わたしはこの業界も痩せるような商品を出してきても、絶対に痩せさせてはいけないし、その商品を継続して使ってもらう必要がありるはずです。
(その商品で痩せてしまえば、その業界はそれで終わりになります。)

それを踏まえた上でこの集団ストーカーを考えてみてください。
同じことが言えるはずです。

見せ掛けとごまかしで、その先頭を歩いているのは「お金儲け」だと思っています。
お金と生活が密接な関係にある以上、このお金と金儲けを切り離すこともできません。

このお金が人類の生活を左右している以上、何をやっても同じだと思っています。
お金と生活を少しでも切り離していかなければ何をやっても同じだと思っています。

より良い生活をするためにお金が必要になる。
もう、負の連鎖だと思います。
(なのでお金儲けをする手段を選べなくなるのだと思います。)

自分の好きなもの好きなことを職業にしたとしても、お金のためにしたくないこともしなければならないと思います。

この世の中には、善意で行われている内容も随分とあると思います。
募金などもそうですね。

その裏には何かの見返りが存在していないかなど、見る必要があると思います。
そこに仲介業者が関わっていないかなど。
(3.11も善意の寄付が被災者の方に使われていなかなった事実があったようです。)

この集団ストーカーというのは奪う(金儲けの)世界観のような感じがします。
そのような世界の中に、ターゲットが放り込まれたイメージです。

この集団ストーカーを真の善意で見返りもなしで世の中を良くするために行っている方がいれば、それは素晴らしことだと思っています。
(これからの世の中を牽引していく方かなとも、)

蟻が餌に群がるようなイメージでもあり、ライオンが餌をとった時にその餌を狙ってハイエナが周辺に群がるようなイメージでもあります。

それは自然界だから当然で、それは理にかなった状況かなと思っています。
ですが、この人間界の奪う行為は理にかなった行為でないことは明らかです。

人類は考える力があります。
考える力があるから自然界の循環から離れたのかなと思います。
(離れても大丈夫だった?)

それは環境が異なっているからにすぎないと思います。
自然界ではそれは循環に変わりますが、人間界でそれをすればそれは略奪です。

この略奪を自然界で行われているように循環に見せるために行われているのが、この「ごまかし」です。

この集団ストーカーというのは、真実が先に存在していてその真実を誤魔化すために行われている行動だと思います。

真実があって、その真実は世間に受け入れられない場合があります。
略奪のように奪い取る行為が多いですからね。

その受け入れられない真実に何を混ぜ込んで、どのように誤魔化すかが集団ストーカーでもあると思っています。

例えば、何かを奪うためにそこには濁ったイメージの色があります。
その濁ったイメージの色にどんな色を混ぜたら明るいイメージの色になりますか?

その答えを出すために、この集団ストーカーは行われているのだと思います。
その濁った色の量を超えた別の色を混ぜたら色は変わります。

それがこの集団となって現れているのだと思います。
量の力、量のパワーなのかなと思います。

大洪水などもそのようなイメージに近いと思いませんか?
大洪水に、意味など存在しませんからね。

力で押し通す。
ですが、それは自然界の中の循環に値するのではないかと思うのですが?

人類は考える力があり、自然界から離れた生活をしています。
ですが、自然界を利用した行動が随所にみられます。

これはいかにです。
この世の中には、暗黙の了解のようなルールが存在していると思います。

自然界・人間界に限らず暗黙の了解のようなルールが存在すると思っています。
そのある一線を超えたらアウトのような?

その境界線の境目でウロウロしているのが、この集団ストーカーかな?
数が増えれば増えるほど、量が増えれば増えるほどルールが必要になります。

ルールや規則が必要になってきます。
そのルールや規則が好きか嫌いかは個人によって違うと思いますが、数によるルールが必要になると思います。

人によって好き嫌いは存在しますが、多数の中で生活をするには逃れられない存在かなと思います。

このルールや規則から逃れるためには、数を減らすことだと思っています。
個々でいると自由度が高まるのは、そういうことでもあると思います。

この集団ストーカーというのは、多くの輪の中に閉じ込める工作でもあります。
この集団ストーカーの加担者に自由度がないような感じでもあります。
(指示により動かざるをえません。)

そこに、したいしたくないは存在できないはずです。
指示通りに動く、これに従うしかないというのが集団ストーカーかなと思います。
(そこには馬の鼻先にニンジンをぶら下げられているようなことも?)

なぜ、このような集団ストーカー工作が密かに水面下で隠れるようにして行われているのか不思議ですね。

隠れるようにと申し上げましたが、現実は見た目の違いです。
見る人によって、見方によって違いが出てきます。

例えば、ターゲットからの見え方あるいは第三者からの見え方には大きな相違点があります。

自然か不自然か?
自然界から離れた生活をしている人類にとって、この表現はどうかなと思いましたが、他に言葉がみつからな〜い。
(人類は自然から離れた生活をしています。ですが完全に自然から離れることはできないと思います。)

この集団ストーカーの工作を見ても分かります。
自然を利用した工作が随所にみられます。
(生き物を利用した工作など明らかに自然を利用しています。)

今まで、この集団ストーカーという工作がバレることなく行われてきたのか?
この辺りに秘密が隠されていると思います。
(それは見る側の違いです。)

この集団ストーカーというのは、必ずターゲットを中心にして工作が行われています。
それは間違いのな事実です。

ですが、その事実の中にある真実をどのように受け取るかです。
その受け取り方が、見る人によって変わってきます。

これがこの集団ストーカーの最大の盲点でもあります。
(これが最大の秘密かな?自然か不自然か?どのように目に映る?聞こえる?)

この集団ストーカーはわたしに対して嘘の情報を地域に言いふらしていると思われますね。

そうでなければ、わたしに対して監視と思われるような付きまといとも受け取れるような行動はしないと思っています。

嘘を言いふらして地域を洗脳して、防犯活動と思えるような行動を町中で行っていると思われます。

そして最近は、だんだんと加担者側の加担工作がひどくなっています。
加担者連中のほうが酷くなっている現実があります。

これはどういうことなのでしょうかね?
わたしにすれば、寝耳に水の状態です。

できれば詳しい説明をしていただきたいと思っています。
いかがでしょうか?

わたしはどのような人間にされているのかもお伺いしたいですね。
ここまで地域を挙げて、防犯活動と思われる活動をされているのでかなりの人物像にされていると思うのですが?

どのような人物像になっているのでしょうか?
ぜひとも、ハッキリとした内容をお聞きしたいと思います。

たぶんですよ。
真実ではないので、絶対に本人に分からないようにされていると思います。

なので、わたしから見れば防犯活動が一人歩きをしているようにしか映りません。
(早く真実を知りたいと思っています。)

このような生活をいつまで続けなければならないのでしょうか?
もう、飽き飽きしています。
(このようなバカばかしい工作に飽き飽きしています。)

その言いふらされていると思われる内容は、わたしには分かりません。
わたしには、見えていません。

ですが、このような大掛かりな地域による監視行動や嫌がらせとも取れるような行動は出来ないはずです。

この地域や加担者側による集団ストーカー工作による監視行動や情報収集なども年々酷くなっています。

なぜなのでしょうか?
わたしは変わってはいません。

以前と変わってはいないはずなのに、なぜ集団ストーカー工作のほうが酷くなっているのでしょうか?

これは嘘を言いふらしてきた輩が困っているのではないかと思っています。
(そこにはエゴと欺瞞があるからかなと思っています。)

嘘を言いふらしておきながら、いずれはその嘘が本当になると信じて工作を続けていたのだと思います。

ですが、なかなかそのような状況になっていないので焦りでこの集団ストーカーの工作だけが酷くなっているのではないかと思っています。

なので、最近はわたしのそばに近づいてくる工作が増えています。
なので、わたしの近くに来てわたしの方から手を出させようという狙いがあるのかなと思います。

なんらかの工作で、わたしの感情を掻き立てるような工作を自宅に居る時にしておいて、わたしが自宅を出た時に防犯活動のようにしてわたしに近づいてくる行為が増えていますね。

これは早くその怒りを近くにいる加担者にぶつけてくださいね。
と、いうことなのかな?

18日木曜日に買い物に行ってきました。
チョっとばかし買い物時の付きまとい方が変わっていました。

この店ならではの付きまとい方なのかなとも?
わたしが購入する商品というのは、この連中によって分けられた商品も一部存在しています。

分けられたというのは、その店に行かなければ購入できない商品です。
この商品が欲しい時はこの店、この商品が欲しい時はこっちの店と、同じ店ですべてを揃えるということが出来ないようにされています。

今まである程度揃えることが出来ていたのですが、そのように分けられてしまいました。

今回はそのように分けられたある店の方に行きました。
この店で最近になって購入できなくなった商品があります。

それは、マッチですね。
マッチが購入できなくなりました。

ちょっとマッチと冗談を言っている場合ではないですね。
(ちょっと待ってと言っても待ってくれないのか?)

マッチがいいのか?
ライターがいいのか?
(タバコに火をつける時にマッチを使う人はいないはずです。)

ですが、仏壇のロウソクに火をつけるとなるとどうでしょうか?
どっちを選びますか?

わたしはマッチを選びます。
お墓などの外ではライターを使いますが、家の中の仏壇ではマッチを使います。
(外は風が吹いて邪魔をされることが多いですから、)

マッチには、奥ゆかしさが感じられるからです。
その選択肢が奪われたとこは残念ですね。
(そのマッチを擦った後は空き缶の中に入れて処理し、炭となった燃えかすは植物に利用しています。線香の灰も同じです。)

そのマッチでつけたロウソクの火で線香に火をつけています。
そのマッチが最近になって購入できなくなったのは残念です。

わたしが購入する商品を一つ一つ邪魔をされている感じです。
その前はロウソクを邪魔されて購入できなくされていました。

わたしがどこに行って何かをするにしても、すべてこの連中の仲間のような加担者に変えられてしまいますね。

それだけの力のある連中がこの集団ストーカーを仕切っていると言ってもいいと思いますね。

仕切っているというよりも、この人間の正義感と恐怖心をうまく利用されていると思いますね。

何と言いますか、飴と鞭をうまく利用して加担者に仕立て上げていると思います。
この店は人が少なめなのですが、確実に客と店員はこの集団ストーカーに加担している加害者で占められています。

この店でも、わたしが購入する商品と店を回る経路は予め把握しているので、その場所に加害者を配置しています。

今回は某宗教団体の婦人部の方かなと思われるような方が、わたしが行く場所に予め待ち構えていました。

この店のこの場所は、何年か前までは誰も居なくて購入したい商品をサッとカゴに入れて通り過ぎる場所でした。

ですが最近は必ずと言っていいほど、客を装った加害者がやってきます。
今回は商品の品定めをするというような素振りはなく、スマホでわたしが商品を購入する様子とどの商品を選んでいるのかを録画撮影をしていたと思われますね。

思われますというのは、わたしは買い物をしている時は加担している加害者の方をじっと見ることはありません。

そもそも店に行く目的が加担している側と、わたしとでは違いますからね。

このようなことを何人かの客を装った加害者が、その場所場所で行っていました。
わたしがよく申し上げているのですが、わたしは何も変わってはいません。

いつものように店に行き、いつものような商品を購入しています。
それをなぜこの連中はしつこく必要以上に付きまといをするようになったのでしょうかね?

それは、それぞれの目的がありその目的を遂行しているだけだと思われます。
なので、わたしがとやかく言うことではないと思っています。

これは障害物競走のようなものかなと思っています。
それぞれに障害は存在しているはずです。

このように加担している方にも、わたしには分からない障害物が存在しているはすです。
それに対してわたしがとやかく言うことでもなければ、首をつっこむことではないと思っています。

それはその人の問題であり、わたしの問題ではありません。
それはその人の問題です。

その人が美味しいものを食べなければ、その人のお腹が満たされないのと同じでわたしが美味しいものを食べたとしてもその方のお腹が満たされるわけではないですからね。

わたしは、この集団ストーカーには明確な違いが存在していると思われます。
この集団ストーカーはターゲットのコピーによる工作と目的の相違点なのかなと思います。

その相違点というのは、わたしがよくお伝えしている釣りを例に挙げます。

それは目的なのか?
それとも過程なのか?

の違いだと思います。

魚釣りといえばストレートに魚を取るために、魚を釣るためという発想が生まれてきます。

たぶん、それが普通だと思います。
わたしもそのような考えになります。

ですが、そこにもう一つの楽しみが隠されているとしたらどうでしょうか?
釣りと言ってもいろいろな場所が想定されます。

漁港なのか磯なのか砂浜なのか、それとも船で出る沖なのか?
はたまた、川や渓流なのか?

個々によって好きな場所が設定されます。
好きな場所で楽しむことができます。

それは釣る魚種によって楽しむ場所も変わってきます。
その人にあった好きな場所で目的の魚の釣りを楽しむことができます。

当然ですが釣り場によって釣る魚によって道具も変わってきます。
(これが趣味という証でもあります。それを職業にすれば固定されるでしょうね。)

これを趣味と考えていれば自由度はそのままです。
その中で、もう一つの楽しみ方があります。

これは、釣りだけとは限らないでしょうが、それは過程です。
魚を釣るまでの過程です。

この過程を楽しむのも釣りならではと思っています。
釣りに行く日を個人的に決めてから、準備の過程、釣り場に向かう過程、釣り場についてその日の状況を判断する過程、その日の状況によって仕掛けを決めるなどの過程も存在します。

浮きや重りの大きさなどの判断も必要になってきます。
そして潮の流れによって、撒き餌を打つ場所や仕掛けを投入する場所も変わってきます。

このようなことは、その場所に行って潮による流れの判断や風などによっても違いが出てきます。

わたしはこのようなことを考えながらの釣りが楽しんでいました。
(今では海を見ることも出来ない環境ですが、)

自然相手なので、同じ条件の日というのは一度もありませんからね。
その日、その場所に行かなければ分かりません。

その都度、自然は変化しますのでそれに合わせて釣り方も変える必要が出てきます。
このような自然の変化に対応をしながらの釣りも楽しみの一つだと思います。

なので釣りといえば、確かに魚を釣ることが目的でもあります。
それは間違いのないことなのですが、ですがそれ以外の楽しみも存在していることは確かです。

その別の楽しみは、自然が作り出してくれている場合もあります。
自然の中で過ごすことが別の楽しみでもあるはずです。

刻々と変わる自然の中で、どのように対応をすればいいのかそれも一つの楽しみだと思っています。

わたしはどちらかというと繊細な釣りの方が好きですね。
大胆なルアーフィッシングもいいのですが、わたしは浮きを海面に浮かべて浮きによるアタリを取りながらの釣りが好きですね。

わたしは海に浮いているウキが海の中に沈んでいくタイミングが好きですね。
なので、このスタイルを守りたいのですがこの釣りの最大の弱点があります。

それが風です。
この集団ストーカーで欠かすことのできな風が邪魔をすることもあります。

まぁ、現在でも同じですね。
6月21日の風はひどかったですね。

台風並みの風でした。
他の地域は分からないのですが、この鳥取市ではものすごい風でした。
(このような風は時々、集団ストーカーの風として行われています。)

このような強風も、この集団ストーカーによる風であることは間違いありません。
このように風を吹かせる技術は最新の技術なのかなと思っています。

ですが、行っている内容は少し違うのかなと思います。
毎回思うのですが、嫌がらせですかと疑うときもあります。

確かに、この集団ストーカーに風は絶対条件だと思っています。
冬などに出かけると、100パーセントに近い状態で風による工作を受けますからね。
(必ず向かい風になるような状況にしてきます。)

自宅にいる時は、わたしがこのようなことをした時に風が吹いてきます。
それは洗濯物です。

洗濯物を外の物干し竿に並べると風が吹き始めます。
この風は、午前10時前くらいになると段々と強くなってくるかな?

このようなことは、わたしでなければ分かりません。
洗濯物は裏庭に分からないように干していますからね。

その洗濯物をベタベタに引っ付けられてしまします。
ある一定の間隔をあけて、洗濯物を干したとしても風によって洗濯物がベタベタの状態に引っ付けられてしまいます。

ベタベタの状態になると、風が少しおさまります。
ですが、わたしがその洗濯物をある程度の間隔を開けなおすと再び強風が吹き始めて洗濯物がベタベタの状態になります。

ある程度このようなことを続けていて、そこそこ繰り返したところでわたしもあきらめてその状態にしたままにしておきます。

そうすれば夕方近くになれば、風もおさまってきます。
技術というものは、そのようなことに使用するものなのかと考えさせられます。

裏庭で、何氣なく長めの木の枝などを壁に立てかけていたら、その枝をめがけて風が吹くもともあります。

その枝を倒そうと、躍起になって風を吹かせてくる場合もありました。
これが防犯活動だと言ってしまえばそれまでです。

この集団ストーカーには見えない工作、世間に知られたくない工作が存在することは確かだと思っています。

今までの世の中は、何かの犠牲の中で成り立っていたことは確かです。
そのような犠牲は今までどのようにされていたのか、どのような状況にされていたのかそれは誰にも分かりません。

では、