このことが理解できていなければ、これから起きることの意味が分からないかも知れません。
このことというのは人間の体です。
人間の体は肉体の中に魂があります。
そして肉体と魂は別々です。
肉体は死んでも、魂は永遠です。
このように魂と肉体は、別々に考える必要があります。
例えば、宇宙飛行士が宇宙に行くのに宇宙服を着るような感じだと思ってもらえるといいかなと思います。
この魂が経験した過去からの時間経過に比べたら、今起きているこの集団ストーカーはほんの一瞬の出来事なのかも知れません。
演劇の舞台の一場面かも知れません。
よくわたしがクライシスアクターの内容を取り上げますが、そのような感じだと思います。
(魂の修行のために前世はあの役、今世はこの役と決めているのかも?)
この世は現実なのですが、現実の中に仮想空間があるような感じでしょうか?
夢は仮想空間だと思います。
(現実と仮想空間を行ったり来たりしているのかも知れません。)
ブーメランを飛ばすと、大きく回って元の場所に戻ってきます。
輪ゴムは伸ばすこともできます。
(伸びたゴムは縮むこともできます。)
伸ばしたゴムの手を離すと、ゴムは一瞬で縮みます。
ゴムを伸ばす時間が長くても、手を離せば一瞬で縮みます。
(振り返るとそれは一瞬の出来事なのかも?)
これから起きる出来事は、伸ばしていた輪ゴムの手を離す時なのかもしれないですね。
9/9石井数俊さんコラボお話会IN大分🍀
この連中は自分の時間ではなく、わたしの時間でこの加担者は動いています。
自分自身の時間ではなく、わたしの時間です。
(わたしの行動の邪魔をするという意味でそうなっているのだと思います。)
なのでこの加担者は、わたしの行動の内容で動いています。
わたしのあるタイミングの時間に、決まったかのように車が来ることもあります。
例えば、台所に行く時間に自宅前を車が走り抜けることがよくあります。
わたしが台所に行く時間など決まっているわけではありません。
(わたしの行動の一連の流れは把握していると思いますが、時間は決めていません。なので待機して待っていると思います。)
車が来て神社の駐車場に車が止まることもよくあります。
しばらくしていると、神社から神社の鈴の音が聞こえてきます。
参拝をしているようなのですが、しかし今までそのようなことは一度もありませんでした。
なぜ、今頃になってこのような行動をとるのでしょうか?
この集団ストーカーというのは、情報収集と電波の照射が挙げられます。
(その他に音と人海戦術もあります。)
この情報収集と電波の照射は、その近くに何かを仕込まないと出来ません。
なので、ターゲットと同じ場所を共有するような行動を取らなければなりません。
(そして、密かに仕掛けを仕込まれていることがよくあります。)
共有していれば何かと工作も可能ですからね。
なので、必ずこのような工作をしてきます。
この集団ストーカーではよくおこなわれている内容です。
邪魔をするために共有をする。
工作をするために共有をする。
そして、ターゲットの決まったタイミングに加担者の動きが見られます。
なのでこれは、わたしの行動と内容を情報として読み取るという目的があるのだと思います。
これから地球上で起きる内容は、パソコンと同じ考え方かなと思います。
パソコンのハードディスクの容量も無限ではありませんからね。
(要らないデータは捨てる必要があります。)
このように考えると人類は決められた中で生活をしていると言ってもいいのかなと思います。
その中で、この集団ストーカーは決められた社会の中の一場面かなと思います。
わたしの自宅は山のそばにあります。
よくその山の木々を見ていると、一枚の葉っぱがひらひらと落ちてくることがあります。
このような現象が山を見るたびに起きることもあります。
山が近いということもあり、わたしの周辺はたくさんの生き物がいます。
工作で使われている生き物もそのなかにいますが、見分けることができない場合もあります。
(大きいものは出来ても、小さくなればなるほど見分けがつきません。)
わたしもなるべく区別をしないようにしています。
ただ、生活をする中で支障になるような生き物の場合は排除させてもらっています。
(領域が違うような場合も排除させてもらっています。)
この集団ストーカーの付きまといや嫌がらせのような行為は、わたしからすれば迷惑行為に当たるのですが、この連中にしてみればその行為がモチベーションになっているような感じにも受け取れることがあります。
楽しみで行っているというわけではないのでしょうが、何か生活の一部となっているような感じです。
なので、わたしが止めてと言っても止めることができないでしょうね。
この連中もこの集団ストーカーの加担者となり、それで魂の学びをしているのだと思います。
それをわたしがとやかく言うことはできません。
わたしが介入することは避けるべきだと思っています。
自分自身の問題ですから、わたしが言うべきことではないと思います。
生活圏の違い、考え方の違いだと思います。
これは宅地開拓と同じだと思いませんか?
開拓をするにあたって、その場所に前からいる生き物が邪魔になるというような感じだと思いませんか?
植物や野草でも同じです。
その場所に新しく野菜を植えよと思えば、前から生えていた野草が邪魔になる場合があります。
しかし、その排除を無下に排除するのか、それともじっくりと時間をかけて証拠が残らないように本人から潰れるような形に持っていくのかだと思います。
(この後の内容が集団ストーカーによる内容の工作です。)
このような工作の時間は、何十年にもわたる長期の時間です。
しかしこの地球時間では長い年月に思えますが、宇宙時間では一瞬だと思います。
(まぁ、時間という考え方がないのかもしれませんが)
これを三次元でどのように例えたらいいかなと考えてみました。
まぁ、こんな感じかなと思います。
自分の好きな事や楽しいことをやっていると時間を忘れることがありませんか?
そんな感じかなと思います。
わたしが釣りを趣味としていた時はそんな感じでした。
朝、海に出かけて夕方に帰るのですが、時間が早く過ぎてしまします。
時間を忘れてしまうとはこのようなことかなと毎回感じていました。
もっと釣りをしたいのだけれども、日が暮れるという感じでした。
(一番わかりやすいのが、昔話の浦島太郎の神話だと思います。)
今までの地球上では、すべてが循環をしていたと思います。
野草の話に戻りますが、その野草もその場所を管理している人間が抜くことになります。
この考え方は、地球を管理しているという考え方にもつながります。
(管理人がいろいろ変わって、地球ではおかしくなっていましたが、本当の管理人が存在しているはずです。)
その抜いた野草はどうしますか?
わたしなら食べられるものであれば食べると思います。
また乾燥させて細く切れば、土などの養分にもなります。
すべてが無駄にならないような仕組みにされていると思います。
このような生き物や植物に関しても、誰かが改良の手を加えない限りその種はそのままだと思います。
この集団ストーカーも誰かが改良を加えない限り、そのままの工作が続くと思っています。
わたしはこの集団ストーカーの工作を長年受け続けていますが、内容の根本は変わっていないと思います。
この集団ストーカーに関しては、終わることがなくその時が来るまで待つことになるのかなと思います。
樹木や植物、そして生き物はある程度のサイクルと言いますか一連の流れの中で、移り変わりをしています。
しかし、人間はどうでしょう?
個々によって違うと思いませんか?
(生活環境から趣味嗜好まで個人によって様々です。)
頂点に君臨する人間だけは決まっていないのかな?
これも何か不思議だなと思いませんか?
頂点に君臨しているものは、決まったスパンやサイクルではなく別のものによって左右されるということなのかな?
わたしはたぶん、人間も決まっているのだけれども環境によってマチマチになっているのだと思います。
樹木は葉を落とさない常緑樹もありますが、落葉樹はその時期が来れば葉が枯れて落ちます。
(氣温によるのでしょうけど、一年の中で必ずそのような場面が組み込まれています。)
自宅は山のそばにあるということもあり、山が遊び場になっていました。
この山で氣がついたことは、木の実などの人間や動物が食べるような物があまりなかったことですね。
椎の実はあるのですが、栗の木は見たことがありません。
当然ながら、アケビなどもありません。
わたしは山があればどこかしらに栗の木があるのかなと思っていましたが、そのような木はありません。
もしかして、栗の木は人工的に植えるのかなと思ったりもします。
(調べてみると木の半数は人工的に植えられているようです。)
植物の葛の話は、後ほど記載させていただきますが、下記の動画をみてください。
くず餅はほとんど口にする機会はないのですが、そのくず餅の話ではなくわたしが見ている動画は、ほとんどがこのような状況になります。
むしゃくしゃしたので、緑の怪物「クズ」をむしゃむしゃしてやった
動画の中で、3分過ぎ頃から聞こえてくる救急車のサイレンです。
この集団ストーカー工作には定番の音なのですが、なぜこの定番の音がわたしが見る動画の中に入ってくるようになるのか本当に不思議です。
(サイレンにも動くサイレンと動かないサイレンが存在しています。実際に出動した車両から流れるサイレンとスピーカーなどから流すサイレンです。)
救急車などのサイレンは、警告や加担者の知らせなどに使われています。
わたしのところでは、この救急車のサイレンがなるとこの集団ストーカーに加担している加担者から音出しなどの工作が始まります。
(救急車のサイレンがスタートの合図になっています。)
他の動画では、話し声が入ったり笑い声が入っていたり、子供の声から赤ん坊の泣き声まで色々と聞こえてきます。
話を元に戻しますが、
わたしが小学生の頃、通学路に栗の木がありました。
秋になるとその栗の木に、いがいがの実が実っていました。
その栗の木を見ながら通学をしていました。
その当時の通学時間や通学路はまちまちでしたから、好き勝手にその時によって通学路を変えていたと思います。
その栗の木は、ある敷地内に生えていたのですが、その生えていた場所が道路沿いでしたからよく見えました。
そして、わたしがある程度の年齢になってから、その栗は丹波栗だということがわかりました。
現在は、その栗の木はありませんし、その通学路も閉鎖されて通れません。
(狭い道でしたから、たぶんこの連中が閉鎖しているはずです。このことを知ってからこの連中が木を切ったようです。)
そして、この栗の木のそばに空き地があり、小学生の頃になんとも不思議な出来事がありました。
天候の操作・氣象の操作はなんのため?|日々の出来事
https://hibi-dekigoto.com/2020/12/04/hibi-dekigoto/5097/
これも不思議な出来事で、確かに足が切れて出血していたのは事実です。
事実なのですが、どのようにして切れたのか分からないのですね。
その当時は車が珍しかったので、空き地に停めてあった車を見たくて車をグルーっと一周して見ていました。
車の助手席側からグルーっと後ろを回って運転席側に来ました。
見終わってから、なんだか足が痒いなと思って足をかいたら何かいつもと感触が違っていました。
それで、手を見たら指に血が付いていました。
えっと驚いて、足を見たら血が流れ落ちていました。
急いて帰って医者に連れて行ってもらったのですが、それでもどうしてこのようになったのか未だに分かりません。
たぶん、車のバンパーに当てて切ったのだと思うのですが、ですがバンパーに当てた記憶もなければ当てた痛みもなかったですね。
車のバンパーで切れたのなら、バンパーに当てた感触があるはずですが一切何もなかったですね。
(小学生だったので半ズボンで運転席を見ながらバンパーで切れたと思うので左足です。当時の身長でその場所が切れています。)
まぁ、こんなこともあるのでしょうかという感じです。
現在でも、三日月のような半月のような感じで残っています。
樹木の話に戻しますが、この自宅の周辺は椎木とイチョウの木はあります。
この椎の実は母親が好きで、よく拾っていました。
椎の実をフライパンで炒めて母親に食べてもらっていました。
わたしは食べません。
食べないというよりも、食べれません。
(歯の問題があって食べれません。)
なのでわたしも母親の影響なのか、しいのみ拾いは好きです。
ここ数年は、この連中の工作なのか分かりませんが、この連中が椎の実がなるならないを操作をしているようです。
(イチョウの木までもこの連中が手を出しているようです。)