投稿日:2019年11月29日 | 最終更新日:2022年6月22日
やまない雨は、ありません。
しかし、この集団ストーカーは、やみそうにありません。
止みそうにない、この鳥取市は、水没するかも知れませんね。
このような考えが、蔓延していれば自然災害は、増えると思いますが、
どうなるのでしょうかね?
このような状態が続くようであれば、そのほうがいいかなと思ったりもします。
心のたて直しが無理なら、そのほうがいいかな?
私の命などは、すべて流れにまかせています。
一度、お花畑を見るような体験をすると、不思議と恐怖心というのは、なくなりますね。
日本は、こんな連中のためにあるのではないし、こんなことをするために日本は、あるのではないと思っています。
この集団ストーカーは、朝鮮の文化が取り入れられ、朝鮮の文化そのものだと思っています。
私は某宗教団体によって、常に考える頭に変えられてしまったことは、間違いのない事実です。
思考の内容で、この連中が動き、思考の内容で世の中を動かしているようなこともしていました。
例えば、あそこに行った事があるとか。
この建物で何々をしたことがあるとか。
この道を通ったことがあるとか。
この場所にも行ったことがあるとか。
そうすれば、その場所で建築・道路工事が始まります。
天気などでも、衛星画像の雲のようすを見て、この雲、台風になりそうだなと思っていると、台風になったりね。
でも、ほとんどが人工の台風ですけどね。
まぁ、こんなことをされ、利用され町をどんどん変えています。
ようするに、税金を使っていると言うことなのでしょうけどね。
鳥取市は、1943年(昭和18年)の鳥取地震により鳥取市の中心部は壊滅状態になっています。
昭和18年ですね。
18と云う数字が、気になりますね。
そして、なぜだか震源が浅いですね。
この鳥取地震は、1945年の敗戦前後の4年間に起きた地震で、4大地震の一つになっています。
東南海地震・三河地震・南海地震、そして鳥取地震が4大地震になっているようです。
鳥取地震(ウィキペディア参照)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E5%9C%B0%E9%9C%87
この復興に際し、猫の手も借りたい状態で、このとき朝鮮労働者が土木や建築に多数採用されたような、そんな内容の記事をネットの何かで読んだような記憶があります。
そして、敗戦の戦後から、その上下関係が逆転して現在に至るのだと思っています。
そして、1952年(昭和27年)に鳥取大火が発生しています。
この大火で、市街地のほとんどが焼き尽くされたようです。
鳥取大火(ウィキペディア参照)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E5%A4%A7%E7%81%AB
なので、現在の道路工事から土木・建築などは、なにか利権がらみの工事が増えているような気がします。
このような私の思考などから利用しないと、現在では受注が困難になってきているような感じもします。
防犯パトロールから、土木建築、そして私が利用するもの使う物は全て、仕事を生み出す仕組みに、利用されています。
日本の中に居る、日本籍朝鮮人が、儲かる仕組みに変えられていると云うことでもあります。
この私の防犯を利用しながら、元ある日本の企業が、在日企業に駆逐されているような気がします。
それは、某宗教団体の総体革命と日本人削減に関連していると思います。
私が、色々と考えると、タイムラグなしに「んんーん」と、女の声で、 脳内送信が来ます。
その時点で、考えがとまります。
超音波振動と同じで、これも終わることがありません。
この行為は、私をおかしな人間、精神的に異常な人間に仕立て上げるための工作です。
とにかく、私の思考なんですね。
私の思考で、全てが始まります。
そして、電気信号もしかりです。
すべては、デジタル処理されています。
これから、来年にかけて、自然災害が増えるでしょうか?と、文章を打ち込んだだけで「うんーん」と、女の声が返ってきます。
だから、朝鮮の文化と言うのは、このような文化だと思います。
人と関わる文化、いいように関わればいいけど、
人の揚げ足をとったり、引きずりおろしたり、集団でいじめたり、人から盗み利益を得るような文化に思えてなりません。
それに、半島は差別が酷く、上下関係を重んじる所があるようですね。
上下関係を重んじるというより、事大主義ですね。
強い物に従い、強い物の恩恵にあずかる。
何か、こんなイメージがしてなりません。
それの最たるものが、この集団ストーカーに、集結されているのではないでしょうか?
この集団ストーカーは、職業でもあり金儲け、ビジネスだと思います。
自らが、優位に進めるための地ならしに、利用されているような感じです。
今の日本は、半島の味付けになっています。
それも、隠し味のように使われている気がします。
そして、そこには欧米の味付けもあります。
日本人の口に合いますか?
たぶん、美味しいから受け入れられているのでしょうね。
たぶんね。
でも、それを主食のように、毎日食べ続けることができますか?
欧米や半島の味付けを、毎日食べることができますか?
私は絶対にできません。
たぶん、和食・日本食を取り入れているから、出来るのだと思います。
こう考えますと、和食・日本食があるから、たまにはと言う考え方になるのだと思います。
だから、日本人の体には、この和食・日本食が合っているのだと思います。
好きとか、嫌いとかの問題ではなくて、日本人の体に合っているのだと思います。
だから、美味しい美味しいと食べ続けていても、どこかで何かの反発が蓄積されているのだと思います。
それを、いかに本来の日本の味付けに戻すかが、今後の課題、問題ではないでしょうか?
醤油味にしますか?
味噌味にしますか?
その味付けに、直す時が来ているような気がします。
醤油や味噌の使い方に、決まりはないと思います。
自由に個性を発揮できると思います。
個性は、あーしろ、こーしろではありません。
個性(こーせい)です。
まぁ、この連中に何を言っても、止めることは無いでしょう。
白人至上主義の考えが、あるのかも分かりませんね。
結局、日々行なわれている、この集団ストーカー被害というのは、一体なんなのでしょうかと思ってしまいます。
私の領域に入り込んで、楽しんでいるとしか思えません。
それは、何の目的があるのでしょうか?
何か、探し物ですか???
私が、どうしても不思議に思うのは、私はこの連中によって、異常者や危険人物の仕立て上げられていると思います。
防犯活動が中心になって、動いているはずです。
私から見ても、そうとしか思えません。
しかし、防犯活動や防犯パトロールで、私が小さい頃に遊んだ、山の中の道をなくしたり、木の生えていない場所に木を生えさせ、昔のイメージを変えようとしています。
また、その逆で、生えている木を、随分と切り倒しています。
石垣をコンクリートに変えたり、岩を削ったり、それって防犯に必要なことなのでしょうか?
そして、神社に小さな滝を作っています。
これは、たぶん私に水の落ちる音を、聞かせるためだと思います。
これも、防犯に必要なことなのでしょうか?
これは、他にすることがなくなり、そこまで踏み込んでしまった結果なのでしょうか?
それとも、私の軌跡を辿っているのでしょうか?
私が、小さい時から現在に至るまでの軌跡です。
もし、そうだとすると、何のためなんでしょうかね?
探し物ですか?
ただ単に、お遊びですか?
私が何かを知っているとでも?
私が何かを託されたとでも?
私が、父親や祖父から何かを託されたとでも???
何もありません。
ほんとに、馬鹿馬鹿しい。
それが違うとすれば、ここまでする必要性はなんですか?
それは、私が潰れないから、音を上げないから???
それは、私の勝手だと思います。
それは、私の人生ですし、あなた方に左右される人生ではありません。
この連中が、私の私生活に入り込むこと自体が、間違いだと思います。
その間違いに気が付かず、行なっている防犯活動そのものが間違いです。
私から言わせて頂ければ、この防犯活動は、防犯活動ではありません。
ただの付きまとい、嫌がらせ、迷惑行為です。
防犯活動をやっているんだと言えば、聞こえがいいですが、たんなる迷惑行為です。
なんの意味もありません。
そもそも、防犯活動をするということは、犯罪が必要だと言うことではないでしょうか?
私は、防犯活動のない、しなくてもいい世の中のほうがいいと思います。
警備や警察関係者の方には、営業妨害になるかも知れませんが、私はそのような世の中のほうがいいと思います。
警備や警察関係者の方も、そのような世の中を目指して、日々尽力されていると思います。
私は、この集団ストーカー被害で、随分と勉強をさせて頂きました。
この集団ストーカー被害がなければ、ここまで調べることはしなかったと思います。
この何十年間は、辛い思いばかりをしてきました。
現在も継続中なんですけどね。
やっている加担者も、加担者だと思います。
よくぞ、ここまで出来るもんだと、感心致します。
その中で、一番と言ってもいいくらい勉強になったのは、カルマや因果応報などの宇宙の法則ですね。
これを知っているか、知らないかで、人生の考え方も変わりますし、この集団ストーカーに対する対応も違ってくると思います。
自分を良くしたければ、他人を良くすること。
このことは、ほんとに勉強になりました。
悪事を働けば、いつかはブーメランのように自分に返ってくる。
まぁ、確かにそうだと思います。
だから、その逆を考えれば、他人を良くすればと言う考えになるのですけどね。
しかし、花咲か爺さんではないのですが、隣の意地悪な爺さん婆さんの考えが心にあれば、どうなんでしょう。
下心みえみえで、他人を良くしたとしても、それは見せかけだけの行為になると思いませんか?
花咲か爺さんというのは、昔話なんですけど、現在においても通用する話だと思います。
悪魔と天使、善と悪、裏と表が、ハッキリしている話だと思いませんか?
私の頭の中は、この連中に全て盗まれ、読まれています。
このことからも、これからの世の中は、誰ものが隠し事のできない世の中になるということではないでしょう?
なぜ、この連中は、自分のやっていることが、分からないのかなと思うのですが、それも修行なのでしょうかね。
私も修行なら、この連中も修行なのでしょうか?
しかし、ずいぶんと迷惑な修行なんですがね。
まぁ、これは修行とは言わないのかな???
この動画を見て、また大泣きをしてしまいました。
お恥ずかしい限りです。
泣いて、少しスッキリしました。
泣くと言う行為は、そのような効果もあるようですね。
1時間13分と長い動画ですが、長さを感じさせない内容です。
誰も教えてくれなかった因果の法則 【斎藤一人さん】
この斉藤一人さんの動画を見て、これ以上文字を打ち込むことが出来なくなりました。
そして、宇野正美先生の動画をのせておきます。
宇野正美 / ④大東亜戦争の真相「ロスチャに恐喝されて闘った日本」
宇野正美 / ➄大東亜戦争の真相「日本に来ていた古代ユダヤ人」
宇野正美 / ⑥大東亜戦争の真相「神に約束された日本の復活」
では、