投稿日:2020年5月28日 | 最終更新日:2025年5月18日

最初に、お断りをしておきます。
わたしが、この内容を下書きとして、文字を打ち込んだ後(5月28日の夕方に)に、特別定額給付金の通知が届きました。

わたしのこの集団ストーカー工作の中でも、このようなことは頻繁に行なわれていました。

時間を掛ける工作です。
待たせる工作ですね。

時間を掛けて待たせるという工作です。
まぁ、加担者による人海戦術のようなものなのですが、これが結構多いですね。

例えば、集団ストーカーのターゲットの周辺で起きる車の事故なども、このたぐいに入るのかも知れませんね。

そして、渋滞が発生して待たせる。

そして、何かのトラブルで待たせると云う工作も、よくやっているようです。
それもいかにも、偶然性を装ってです。

そうでもしなければターゲットの周りだけで、トラブルが頻繁に起きるはずがありません。

この集団ストーカーというのは、一人のターゲットの周りを加担者が取り囲んでいるといってもいいでしょうね。
(血の繋がりだとか親しいとか、友人だからとかの枠組みや関係性は一切なにもありません。)

後は本人の判断なのですが、それが出来なのがこの集団ストーカーなのです。
本人の考え次第でどうにでもなる場合が多いです。

それが正しいか正しくないのか、行なっていいのか悪いのか、それは個人の判断にゆだねられると思うのですが、それが出来ないのがこの集団ストーカーなのです。
(わたしのパソコンの打ち込みの内容も加担者が、かたずを飲んで見ていることでしょう。)

だから、個人の考えが尊重されない世の中になっています。
個性を無くした方が、支配層に取っては楽で便利でしょうね。

民主主義というのは見せかけだけで、独裁者が民主主義と書いてあるTシャツを着ているような感じなのだと思います。

ひとまとめにしたほうが、何かと都合がいいと思います。
そして、扱いが簡単になります。

なぜ、そうするのでしょうか?
それは、なぜなんでしょうか?

・それは大きいから?

・範囲が広いから?

・大勢いるから?

たぶんそんな感じだと思います。

大勢いる中で、それぞれの考え方をまとめるのは大変でしょうね。
一つの花壇の中に、こんなに花がごっちゃに混ざっていたら、まとめるのがたいへんですね。

例えば、シンビジウム、フリージア、チューリップ、サクラ、すずらん、バラ、ゆり、ひまわり、ダリア、ガーベラ、シクラメン、ポインセチアなどの花が・・・?

もし、同じサクラだけだったら、管理もしやすいですね。
そして、同じサクラの品種に優劣をつけ、上下関係を作り、管理したらどうでしょうか?

今回、特別定額給付金の交付ミスがあったようです。
寝屋川で、二重の交付ミスがあったようです。

この交付ミスと集団ストーカーのトラブルを結びつけるのは、間違っているかも分かりません。

同じ品種の上下関係のためのトラブルと云った方がいいのでしょうか?

えっ!
これも間違い??

ただの単純なミス???

まるで詐欺師の為に作った給付金制度!売上を調整して簡単に給付金を騙しとる手口!正直者が馬鹿を見る国日本の実態!今回.コロナで死ななくて良かった人が何人死んだだろうか!

しかし、この集団ストーカーも何かを動かすために、利用される事もあります。
偶然性を装ったトラブルを多発させ、行政を動かしたりします。

それに対して税金が使われ、対策商品の購入が増えたり、改善の作業が行なわれたりします。

この集団ストーカーは、ただの防犯活動だけではありません。

それに、この集団ストーカーは車を多用します。
まぁ、車両ストーカーと云われているようですが、このような車が非常に増えて一つの車列として動いています。

狭い道でも、結構な交通量になります。
そうなれば、交通量が増えたと云う事で、道路の拡張工事がおこなわれたり、新たに道路を作る場合もあります。

このような事が、集団ストーカーを利用した利権につながります。
なので、集団ストーカーのターゲットが居る町では、頻繁にこのような土木建築が始まるような状況になっているはずです。

店や店舗、施設なども同じ事が言えます。
古い物は、ドンドン壊され新しい物に変わってきます。

今回も、初歩的なミスですね。
わたしのように毎日集団ストーカーを受けていると、つい勘ぐってしまいます。

なにか、裏がありそうな感じがしてしまいます。
一カ所で起きると、それが全国に広まることもあります。

なにか、裏がありそう。
と、ついつい思ってしまいます。

これ、企業で云えば経理にあたりますね。

違いますか?
ミスも、済まされるミスと、済まされないミスがあると思いませんか?

例えば、医療ミスは命に関わります。
少しオーバーかも知れませんが、国民を生かすも殺すも行政の政策次第だと思います。

こんなことを、云える立場でないことも、重々承知しています。
おしかりを受けても構いません。

コラー、
テメーッ!

なんだか、政府と国民の歯車が、かみ合っていないよう気がします。
こんなわたしだから、そう思うのかも知れませんが・・・?

なにか、ちぐはぐ???

それは、なぜでしょう?
それは、道徳心の問題でしょうか?
自己中心的は利己主義からくる問題でしょうか?

確かに、何より自分が大切なのは分かります。
少しでも、いい生活がしたいのは分かります。
(わたしも例外なく、そうだと思います。それに自己の成長がないのに利他はできないですからね。器が大きくなければ利他もできない?)

しかし、他人があって初めて自分もあることが分かります。
(一匹オオカミであっても、何かに助けられています。)

人間同士の助け合いも、確かにあります。
そして、それは重要です。

しかし、もっと重要なものに助けられています。

それは、太陽の恵みであったり、
海の恵みであったり、
大地の恵みであったり、
水の恵みだったりします。

これのどれかが欠けると、窮地に陥る事になります。
人間同士の助け合いも大切ですが、大自然の恵みはもっと大切です。

大自然の恵みと言うと、皆さんは何か大きな恵みを考えているのかも分かりませんが、わたしが言っている大自然の恵みはそういうことではありません。

落ち葉一つを取っても大自然の恵みだと思っています。
その落ち葉が腐葉土となり別の植物を育ててくれます。

まぁ、わたしの考えは例外として考えてくださいね。

わたしのような、集団ストーカーのターゲットが、他人との絆とか助け合いなどの云々を云える立場でない事は、みなさんもよくご存知だと思います。

わたしを抜きにした、一般論です。

政府や政府の関係機関が出し渋りをして、誰よりも多く懐に押し込みたいのも分かります。
(政府関係者も人間ですからね。分からなくもないですが立場が違います。)

今回のミスは、受け取った側にしてみれば嬉しいミスなんですけどミスはミスです。
ミスをださないために、何重のチェック体制が出来ていると思います。

この特別定額給付金も公明党の要請で実現しています。
それは、大変素晴らしい事だと思います。

公明党の支持母体だとも云われている創価学会の要請ならば、なおさらのことでしょう。

しかし、この集団ストーカーの支持母体も創価学会と云われているのは、どう理解したらいいのでしょうか?

わたしは、一人で仕事をする上で、創価学会の会員の方には、大変お世話になりました。

その点に関しまして、感謝しております。
有り難うございました。

しかし、お世話になりながら、裏では集団ストーカーの工作を受けていました。
これを、どう捉えたらいいのでしょうか?

破壊と再生?
裏表によって、利益を追求しているのでしょうか?

ここに、わたしのつたない考えを記載しておきます。
こんな、ことわざもあります。

「悪銭身につかず」
不正、不当な手段で手に入れたお金は、手元からすぐ無くなると言うような意味です。

例えば、創価学会の会員に、わざと二重に交付ミスをし、その後、うやむやにして、それをお布施として創価学会に収めさせる。

なんて、わたしのアホな考えが・・・?
まぁ、アホと思うでしょうが、アホなんです。

ここで一つ疑問になるのですが、アメリカでは給付金のようなことが何度も行われたと聞いています。

ですが、日本では一度だけ?
(日本では、この一度だけで国民の生活が救われるのでしょうか?)

一度でも行えば国民の支持が得られる?
そうすれば、公明党が推奨したのも納得できます。

そして、公明党は給付金を押した事で、評価もあがりますからね。
(世界平和も仮装では?仮装と現実のギャップをどう埋めるか?)

富というのは、地球の支配層・権力者に集まっています。
今まで土の時代は物質の豊かさを求める時代でした。

ですが、現在は風の時代です。
隠されていたものが表面化する時代です。

風の時代では、今後富も通用しなくなる場合も出てくるのかな?
分かりませんが、次第にそのような方向に進んでくると思います。

シャンパンタワーというのをご存知でしょうか?
支配層がなぜ豊かなのでしょうか?
(それは基礎的はベースがあるからだと思います。日本も同じです下層で日本人が頑張っているからありえる現実が生まれています。)

シャンパンタワーの現実を実現させて欲しいですね。
https://hibi-dekigoto.com/2017/12/07/hibi-dekigoto/3677/

これと同じような事が、この集団ストーカーに関しても云えます。
公明党が、ストーカー規制法を推進し成立しています。

しかし、集団ではありません。
集団ストーカーのような集団には、一切手を触れていません。

あくまでも、個人としてのストーカー行為のみです。
恋愛感情、男女関係のもつれによるストーカー行為に限定されています。

2020年になり、この集団ストーカーも世間に認知されつつありますが、その集団による法案は一切ありません。

そして、集団ストーカーを行なっているのは、創価学会とよく云われています。
集団ストーカーのターゲットにされている被害者のなかでは、有名な話です。

これが、創価学会の裏表なんだと思います。
表には伝わらない、裏の世界があるようです。

なので、絶対に集団によるストーカー規制の法律は出来ないはずです。
もし、法案が出たとすれば、公明党は逆の立場になると思います。

まず、世間の目を欺くために、表向きでは正義感をつらぬき裏で悪さをして、その悪さを表の正義感が助ける。

一人二役のようなイメージ?

これが、裏表の関係なんでしょうね。
陰と陽の関係なのだと思います。

しかし、ここで気が付くのは順番です。
陰と陽、そして裏表といいますね。
(「ひょうり」とも言いますが、でも「うらおもて」の方がいいですね。)

陰とか裏とかの文字が先にきています。
表より、裏が大切?

もしかしたら陰とか裏が大切?
重要なのかもね?
(でもこれは土の時代の物質界の話だと思います。)

縁の下の力餅とかも云われていますから、表だけでは力不足になるのかも?
なので、表よりも裏の力が重要なのかもしれませんね。
表に現れない、見えない部分が重要になっているかも?

裏があるから表がある。
そう考えた方がいいのかな?

まぁ、そうかもしれないですね。
スポーツにしても、コーチや監督の考え方で、そのチーム全体がかわってきますから。

音楽にしても、作詞・作曲やステージの演出で、随分と印象がかわってきます。
表も大切なのですが、表以上に裏も大切なのだと思います。

演劇でも同じだと思います。
監督やスタッフそして脚本があるから観客に見てもらって楽しんで頂ける演劇ができるのだと思います

ストーカー規制法が成立したのは、2000年位だったかな?
わたしが自営を始めたのは、その前のはずです。

その時点で既に、集団ストーカーは本格的に行なわれていました。
今、思い出して、ほんとにさまざまな行為をされたなと、思い出すのも嫌になります。

この集団ストーカーの根本は、防犯活動にあると思います。
防犯活動を利用した嫌がらせや、付きまといです。

この嫌がらせや、付きまといをターゲットに必要以上に行い、ターゲットに不信感を抱かせるのが目的だと思います。

全国の集団ストーカーのターゲットにされている方で、なんでこんな事をされているのか、分からない方も沢山いらっしゃいます。

わたしも分かりません。
説明をして頂かないと、分かりません。

ここの打ち込みで、救急車のサイレンがなり始めましたが、そのサイレンがなった意味も分かりません。

とぼけるな!と、言いたいにでしょうか?
わたしは、とぼけた人間なのかも分かりませんが、行なっていいことと悪いことは、わきまえているつもりです。

危険人物や異常者扱いにされ、嘘八百で仕立て上げられている事自体が、わたしには迷惑三昧で、しかたありません。

なので、表の創価学会は、大変お世話になり感謝しています。
しかし、裏の創価学会に対しては、どうしてと疑問を投げかけたいです。

要説明です。
説明して頂かないと、ほんとうに分かりません。

わたしの今の環境は、外も自宅も、迷惑の境がありません。
要するに、わたしの好きな物、よく使うもの、必要なものは、必然的に集団ストーカーの工作の対象にされています。

わたしの自宅の米も、毎日沢山消費されています。
だいたい、毎日ではないですけど、結構の頻度であります。
自宅では、一日3合の米を炊いています。

自宅で炊飯した、白いご飯の消費は、母親とわたしだけです。
けれども、わたしは白いご飯を食べるのは、一日一回だけです。

それも、茶碗一杯くらいです。
多くても、2杯くらいです。

後は、おもに母親が消費しています。
3合でも、足りないから4合を炊いた事もあります。

すると、3合以上に早くなくなり、3日間連続で4合の米を炊いた事があります。

ご飯を炊いた事のある人であれば、エッと思われるはずです。
4合のご飯を、ほとんど一人の母親が、一日で消費できるのでしょうか?

デイサービスに通っている母親です。
仕事などはありません。
(デイサービスに通うことが、仕事かも?)

自宅でのんびりと過ごしています。
腹が減るような、育ち盛りの年代でもありません。

これは、もしかしたらわたしの集団ストーカーに関係があるのかも知れません。
これは、わたしに沢山のご飯を食べさせたくない。
と、言う考えがあるのかも知れませんね。

それで、わたしの寝ている夜中に、近隣の加担者と結託して、ご飯を何らかの形で減らしているのかも知れませんね。

わたしには、仕事をさせない。
金儲けをさせない。
という集団ストーカーの工作があります。

なので、ご飯も同じような事が云えるのかも知れません。

そして、今の特別定額給付金の遅れです。
鳥取市も、だいぶん遅れています。
(解除されてからでは、給付金の意味がないと思いますが・・・?)

もし、わたしにお金を渡したくないという思いで、遅れているのであれば、わたしは特別定額給付金の給付の拒否をしたいと思います。

それで、よろしいでしょうか?

わたしが、マイナンバーカードを作った時も、随分と待たされました。
ほとんど、半年近く待たされました。
わたしも、3ヶ月間は覚悟をきめていましたが、それ以上でした。

このマイナンバーカードも、わたしには作らせたくないという考えがあったのでしょうか?

それとも、集団ストーカー行為の待たせると云う工作なのでしょうか?

だから、わたしが給付金を拒否すれば、それでいいことなのでしょう。
だから、そうします。

そうすれば、もっと早く出来るようになるのかな?
だから、わたしよりも困っている人に分けてあげてください。

それで、いいでしょう。

この集団ストーカーと云うのは、税金詐欺のようなものだと認識しています。
だから、いつまで経っても、終わりがありません。

終わりが無いと云うより、終わらせたくないと云ったほうがいいでしょうね。

いつも、ほっぺたがモッコリ?

いつまでも、飴ちゃんをほっぺたに、ほおばっていたいのでしょうね。
あま〜い、飴ちゃん。

この集団ストーカーは、割り増し請求による横領といっても、いいかなと思います。

たぶん、加担者は市役所で、金銭の受け取りをしているのでしょうか?
それとも、銀行振込なのでしょうか?

アルバイトやパートのように、金額が決まっているはずです。
しかし、これ誰が国に請求しているのでしょうか?

この請求の祭に、割り増しをして請求し、差額を懐に入れていたら、どうなりますか?

これを、何と云うのでしょうか?
正当な行為なのでしょうか?

まぁ、そもそも集団ストーカー自体が、正当な行為とは思えませんが・・・。

何か企業の形態とおなじですね。
ある会社が、仕事の受注を受けたとします。

仕事の受注を受け、もし自社で出来なければ、下請けに発注します。
そして、下請けからの請求に対して、自社の分を何割かプラスして請求を出します。

しかし、仕事で得たお金と税金とでは意味が違うと思います。

これ集団ストーカーの防犯活動の手口と同じですね。
土木や建築も、何か裏があるのかな?

架空企業を作り税金を盗み放題の官僚達!なぜ責任者の名前が一人もでてこないのか!

お金は、人間を奴隷にするためのアイテムです。
人間を縛り、拘束させるためのアイテムです。

だからといって、拒否はできません。
生活のために最低限は必要です。

それが、お金の怖さです。
お金を沢山もっていれば、奴隷(協力者)をつくることも不可能ではありません。

今の政府も関係機関も、そうなのだと思います。
お金で、協力者を増やす事も出来ます。

これ、集団ストーカーにも云えることだと思います。

まず、協力者を増やすには、上げてから落とす。
景気や売り上げを伸ばしておいてから、落とします。

何かで、評判を悪くさせて、売り上げをガタッと落とします。
そして、落としてから助け舟を出します。

そして、仲間に引きずり入れ、同じ考えを共有させます。

今回の対応は、今までに無い対応です。
インフルエンザが流行しても、このんな対応の記憶はありません?

こんな、ぺいぺいが云うのもおこがましいのですが、これを逆手に取って世直しが行なわれていたことは、大変うれしく賞讃すべきだと思います。

しかし、日本国民の無関心さと情報不足には、がっかりしています。
いつかは、すべてが明らかになる日が来ると思っています。

そして、給付金は集団ストーカーの全国版のような気もします。
給付金が、悪いとはいっていませんので、その点はご了承ください。

横領のない、真から国民のための給付金であれば、今後、毎月給付されてもいいと思っています。

ベーシックインカムです。
今の社会は、お金のことで頭が一杯です。

今後は、少しでもお金の負担を減らすのが、未来の社会だと思います。
そのためにも、ベーシックインカムは必要不可欠だと思っています。

これにより、国民の幸福度も上がると思います。
国民の幸福度が上がれば、さらなる進展が見られると思います。

これが、無理なら消費税を無税、消費税の廃止をしてもいいと思います。
もっと、国民の税金の負担を軽くするのも、政府の本来の仕事ではないのでしょうか?

日本国民は、税金で苦しめられ、老後の年金がすずめの涙では、ふんだりけったりです。

企業も、そうなのだとおもいますが、社員あっての企業・会社だと思います。
その社員が毎月、お金のことで悩みながら仕事をしていたらどうなるのでしょうか?

いい仕事ができるでしょうか?
何のための人生でしょうか?

ついつい考えてしまいませんか?
わたしは、会社員時代に社長に直訴したことがあります。

それは、ちょうど子供が出来た頃だったと思います。

社長、生活が苦しいので、給料を上げてもらえないでしょうか?
こう、社長に直訴しました。

そして、ほんの少し上げてもらえました。
まぁ、そうですね。

他の社員との兼ね合いもありますからね。
でも、上げて頂いとことには感謝しています。

上層部だけが、必要以上にお金をもち、下層部を押さえつける。
これって、ほんとの社会なのでしょうか?

動物や昆虫の社会では、あり得ないことだと思います。
アリの社会にしても、働いているアリは苦しい思いをしながら働いているのでしょうか?

ほんとうに、人間の社会と云うのは、劣った社会だと思います。
人間が自然を破壊する権利など、皆無だと思います。

日本は、ほんとうに、一つにまとまった社会なのでしょうか?
ほんとの明るい楽しい社会は、そういうことでは無いと思います。

政府に集まる税金の源泉は、

何処にあると思っているのでしょうか?

では、