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集団ストーカーで分かる思い描く常識と現実は違う?|日々の出来事

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皆さんは、チョコピーは好きですか?
わたしは大好きなんですけどね。

わたしはチョコピーをアリさんも喜んで食べてくれると思ってあげてみました。
ところがですね。

不思議なことに素通りです。
アレレっ?

アリはチョコレートが嫌いなのかなと?
それで試しに外にいるアリさんにもあげてみました。

やはり、結果は同じでした。
それではと思い、今度はネズミさんにもあげてみました。

するとネズミも食べなかったですね。
手つかずのままでした。

ところが唯一、チョコピーに関心を持ってくれたのがカメムシさんでしたね。
カメムシはチョコピーを食べるわけではないのですが、チョコピーに関心を持ってくれました。

カメムシはチョコピーに管を差し込んで、水分と言いますか養分を吸い取っているようでした。

結局、喜んで食べるのは人間だけ?
不思議ですね。

皆さんにお聞きしたいですね。
皆さんは警察に対する常識、認識は何でしょう。
(仮面ライダーのように正義の味方と思っていませんか?)

わたしが思うことは、全ての職業は人間が行い人間の感情・理性で動いています。
(そこに生活が加わってきます。楽で贅沢をしたいという欲求が加わります。)
全てが全てとは申し上げませんが、考えている現実が違う場合も存在します。

第8回新潟街宣 警察裏金糾弾 弁士:元群馬県警警部補 大河原宗平さん

第8回新潟街宣 警察裏金糾弾 弁士:レックス(ムーミン)

わたしにも群馬県に関わりがあります。
わたしがハッキリとこの集団ストーカーを認識したのが、群馬ナンバーの車でした。

わざわざ、この集団ストーカーのために群馬県からこの鳥取市に来たのかと思ってしまいますが、確かに群馬ナンバーの車でした。
(この輩にしてみれば、車のナンバーを取り替えるのは容易だと思います。)

下記のブログに群馬ナンバーの内容を載せています。
(ちなみに、わたしの幼い時の写真も載せています。)

集団ストーカーは土木建築利権が本来の目的か?|日々の出来事
https://hibi-dekigoto.com/2019/04/02/hibi-dekigoto/4461/

23日の木曜日に買い物に出かけました。
それは、買い忘れていたものがあったからです。

足の指の痛みでサッサッと歩けるか心配でしたが出かけました。
買い忘れていた物を買いに出かけました。

コンビニでの支払いもあり、その足で買い物に向かいました。
今回このコンビニでの支払いは、そうなると思っていました。

たぶん、早くは配達されないだろうなと感じていました。
二十日を過ぎるかなと思っていました。

配達をされたのは、21日の夕方です。
(どこかで保管をされ、わたしの状況を見て配達されていると思います。)
夕方なのでその日に支払いを済ませるということはしませんでした。

スッと動ける状態ではなかったので、見送りました。
水曜も出かけられなかったので木曜日です。

この日に支払いを済ませて、買い忘れていたものを買いに行こうと思っていました。
午前中の昼前に出かけて昼までには帰ってこれる予定です。

コンビニの店員さんは女性の方でした。
女性の方は午前中で、昼から男性に変わる感じなのかな?

まぁ、わたしはどちらでもいいのですが、わたしが午後に行く場合が多いのでその対策でそうされているのかも分からないですね。

コンビニの支払いを終わり次の店に向かいました。
ある程度、コースを知っているのでパラパラと加担者の姿が見受けられますが、まぁわたしも毎度のことだし、そこまで氣にもしていません。

わたしが店に向かうと分かれば、車両ストーカー連中の車が店の駐車場に向かい始めます。
(そのため、一時的に駐車場の出入り口が混雑する場合があります。)

このような光景も見慣れた光景です。
(わたしも店の駐車場に入りなさい。と、指示を出すこともあります。)

しかし、今回の買い忘れはいつもの店と違う店です。
いつもと違う店なので、加担者の客も少なかったですね。

その店に入り、わたしの買う商品のそばにちゃっかりと待っていました。
この加担者は指示でそこにいるのか、それとも買う商品が分かっていてその場所にいるのか判断はできませんが、この集団ストーカーの輩には分かっているようです。

この加担者は女性でベビーカーに子供を乗せていました。
あいかわらず、まだこの工作をしているのかとちょっと呆れてしまいましたが、まだ飽きもせずその工作をしているようです。

わたしはお構いなしに商品の購入をしました。
わたしが商品を選んでいる間、わたしの後ろでずっとスマホをいじっていたようですね。

明らかにわたしへの付きまといであることは明白です。
そして、それに加えていかにも明らさまに工作をしています。
(これは、何かのトラブルを起こさせようという意図が見え見えです。)

そして、その商品の他にも欲しい商品がありました。
欲しい商品が置いてあるかどうか分かりませんが、確認だけはしておこうと思いました。
(いつもの工作で、買わせないように店から欲しい商品を撤去されている場合がありますからね。)

その商品をカゴに入れ、わざとその加担者のそばを通って別の棚に向かいました。
このようなことをするべきではないと後で思ったのですが、その時は勝手に足がそのようになってしまいました。

申し訳ないです。
この集団ストーカーに加担している人が悪いという訳ではないのでご勘弁ください。

次に買う商品も、この店でその商品を購入していたので、ある程度の工作をされている商品です。

なのでわたしに分かりにくいように棚に置かれているのか分かりませんが、その商品を見つけるのに手間取りました。

まぁ、商品そのものも無くされたり変えられたりしているので、実際に欲しい商品とは少し違いますが、それでも欲しい商品でもあります。

それはそれでまた別の用途に利用もできます。
それで分からず次の棚を見たりしているとやっとその商品が目に入りました。

そしてその商品もカゴに入れ、ここには食品もあるのでもしかしてと思い次の棚を覗いてみることにしました。

すると、そこには別の工作員が潜んでいました。
よくやっている工作というか監視の手法だと思いますが、わたしの購入する棚の次の棚に潜んでいるケースです。

そしてわたしがその工作員のいる棚に移動すると、その工作員はスゥーと動き始めます。
(これがいつものパターンです。)

これでその関係性が見えてきます。
指示を出す工作員と動く加担者です。

それで、わたしが探していた食品は落花生です。
ひょうたんの形の殻に入ったままの落花生です。

しかし、探せど探せど見つからなかったですね。
その代わりに、殻をむいた薄皮のついたピーナッツがありました。

落花生は置いていないと判断し、ピーナッツをもう迷うことなく購入をしました。
そしてその時に一緒に購入したのが、今回のチョコピーです。

わたしは好きなんですが、アリさんには不評のようです。
生き物にも趣味嗜好、食べ方がありますからね。

それはしょうがないですね。
そして、わたしがレジに向かうと何処の店でもほぼ同じ行動がみられます。

レジに行くとその後に工作員も必ず同じレジに来ます。
なので、どんな人間か確認ができるはずです。
(最近は、そこまでしても何の意味もありません。なのでその場の状況次第です。)

26日は天氣が良かったですね。
27日は打って変わって、今にも雨が降りそうな天候です。

26日の天氣でまた別の見え方が見えてきました。
アリとカメムシのどちらが食べてもいいように置いていたチョコピーが26日の天氣でチョコピーの一部が溶けてきました。

すると何とですね。
今まで見向きもしなかったアリさんが、そのチョコピーの溶けた場所に集まっていました。

これはチョコピーが嫌いではなく、チョコピーの状態により食べたり食べなかったりするということが分かりました。

その溶けた一部にアリが集まってきました。
なので、チョコピーに日が当たっている側にアリさんが集まっていました。
(影になっている箇所には一匹もいません。面白い現象でした。)

アリは甘いものだけではなく、タンパク質も求めていると思います。
タンパク質は固形物で、糖分は水溶性のものを求めているのかなと感じました。
(確かに、砂糖や黒糖をそのままあげても反応はほとんどないのですが、その砂糖を水に溶いてあげると集まってきます。アリの種類にもよるのでしょうけどそのようなイメージを受けました。)

このようにアリやカメムシが喜んで集まってくる姿を見るのは楽しいものですね。
わたしもこの状況を、ボーッと見ながら軽めの食事をしています。

アリは共同体なので、それなりにまとまった行動を取っていますがカメムシは個々なので、自分の好きなような動きを見せています。
(両者の違いがハッキリと見えて、それはそれで生きるための行動だと捉えて楽しんで見ています。)

元々このようなことをするようになったのは、いろんな場所をウロウロされたくなかったからですね。
(一箇所に留めておくために始めましたが、喜んで食べている姿を見のは嬉しくて楽しいですね。今ではアリやカメムシもそれを待ち望んでいるように見えますが、決して飼っているわけではありません。そこを勘違いしないようにして欲しいですね。)

これを人間に当てはめたらどうでしょう?
人間なら食品が自由にもらえてそれが続けば、それに甘んじてしまうのではないでしょうか?

それは人間の意識の問題で、それはそれと考えるかそれを待ち望んでしまうのかの違いだと思います。

例えば、動物園の動物を自然界に返してあげたらどうなるでしょう?
餌を与えてくれる存在を探し求めるか、環境の変化に氣がつき自分で餌を探し求めるようになるか?

これは本来の本能が目覚めるか、本能が眠ったままでいるかの認識と言いますか意識の問題なのかなと思います。
(その状況を受け入れるか、受け入れられないか、)

人間はお金に牛耳られていました。
(お金を操る支配層にと言ったほうがいいかもしれませんが、ここではお金にさせて頂きます。)

人間はお金を稼ぐために、朝から夕方まで労働をしています。
それは生活を支えるためです。

しかし、現実はお金が生活を支えている訳ではありません。
お金は単なる代替えに過ぎないと思います。

お金は生活必需を購入するためや支払いなどに必要なだけで、それが他のもに代用が可能であったり、無料で手に入れることができればお金はそこまで必要がないと思うのですが、どうでしょう?

わたしは、お金は人間の自由を奪うものだと思っています。
人間の自由を奪い牛耳るためにお金は存在してるのだと思います。

支配層にとっては都合のいいアイテムのようなものなのですが、国民にしてみれば食品などの生活必需や支払いが、何かに代用可能であったり無料であればお金はそこまで必要のないものになると思います。
(例えば、家が無償で建てられるようになれば借金地獄からの解放になります。)

本来はそれが当たり前だと思っています。
それが共同体だと思います。

新しい家が欲しい。
じゃー、みんなで建てよう。
(これが自然体で何の疑いも策略もありません。これが共同体だと思います。)

世の中は実にシンプルです。
支配をするためにお金で複雑にされているだけで、世の中はシンプルです。

生きるために複雑な社会構造は必要ありません。

これ、あげる食べて!
ありがとう。

わたしは、この集団ストーカーに加担されている方でも幸せに生活されているのであれば邪魔はしたくありませんし、またわたしの邪魔もされたくはありません。

では、

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