投稿日:2024年10月16日 | 最終更新日:2024年10月19日
人類は自然の中で生活をしています。
死語になりつつある「コンクリートジャングル」の中で生活をしている都会も、もともとは自然豊かな場所だと思っています。
人類は自然が必要なのは、わたしが改めて言わなくてもみなさんがよくご存知だと思います。
その証拠に都会で生活をしていると、休日は自然を求めて出かけていると思います。
海や山の中で自然を満喫しようと思うはずです。
しかし、今までの社会構造では自然の中にあって不自然な行動をしなければ生活ができない状況に置かれている場合もありました。
この集団ストーカーのストーキング工作も自然の中の不自然な行動です。
この不自然なストーキング工作活動が人類の生活を支えていた不自然な現象の中で生活を余儀なくされていました。
(これは自然な状態では、金銭的にも支配構造的にも成立させにくいからだと思います。)
洗脳による支配構造こそが不自然な社会構造の中で成立するのだと思います。
自然を好むのか不自然を好むのかは、それぞれ個人によって違うはずです。
何が良くて何が悪いということではないと思います。
自分で作り出した生活を好むのか、与えられた生活を好むのかは個人の自由だと思います。
自力になるか他力になるかですが、他力を経験しないと自力になる考え方は生まれてこないと思います。
(今までが他力でしたから、もうそろそろ氣がついてもいいかなと思います。)
人間が手を加えた畑などは、半自然状態の環境だと思います。
人間が自然を真似て作り出した半自然状態だと思っています。
自然の中の生きている動物は自然の中で餌を探し餌を食べています。
そのようにして自然の中で餌を探し、食べ物を得るのが通常だと思います。
そのような状況の中、半自然状態の中で育てられた野菜などを動物が食べるということが現実問題として起きています。
これは動物が半自然状態の環境に慣れているのか、自然界に餌がなくなったのかのどちらかだと思います。
もともと自然界の動物は半自然状態の環境に対応できるのか、それとも警戒心が薄れてしまったのかなと思います。
そのような場所は、人が出入りをしていて人の匂いがあるはずです。
小さいときは学習をしていなくて分からないという事もあるはずですが、でも警戒心は持っているはずです。
それが平氣でできるということは人に慣れていか、人が危険だとは思っていないかだと思います。
動物は人間にはない、すごい能力があります。
餌を探す能力や危険を察知する能力はすごいものがあると思います。
(しばらくネコを飼っていたので、人間にはない能力は身にしみて感じていました。)
なので、わずかな匂いや環境の変化を察知する能力はすごいものがあるはずです
わたしは釣りをしていたので、チヌ(黒鯛)の能力をお話ししてみたいと思います。
チヌの嗅覚は優れ過ぎています。
生き物は、匂いで餌を探すものもいれば、視覚で探すものもいます。
生き物は餌を探す環境、生活をしている環境でそれぞれ違うと思います。
匂いで探すか目で探すか、熱を感知したり電波で探しているものもいると思います。
その中でチヌは匂いで探しています。
匂いで探して近づき、最終的には目視になりますが嗅覚はすごいものがあります。
25mのプールの中にオキアミの汁を一滴たらしただけで、その匂いを感知できます。
それだけ自然界の中で生き延びるためには必要な能力です。
広大な大自然の中で餌を探すのですから、それくらいの能力がなければ生きていけません。
長寿な人が食べている食べ物16選【看護師が解説します】
このように餌を探す能力に加えて危険を察知する能力も備わっていないと生存が難しくなります。
頻繁にわたしの裏庭に侵入している生き物は半自然状態に慣れた生き物だと思います。
もっと簡単に言ってしまえが、人に飼われていたと言っていもいいかなと思います。
動物実験に使われて不要になったような動物だと思っています。
この連中の行っている生き物を使った工作にはある基本的な内容があるようです。
それは、必ずその生き物の本物をターゲットに見せるということです。
この行為をしてから、音だけの工作に移行しても怪しまれないという安心感を抱いているようです。
(小さな生き物や昆虫などの場合はこのような工作をしてから、鳴き声だけの音の送信に移行します。)
しかしですね。
鹿と猪だけは見たことがないですね。
これは大きすぎて扱いにくいということと、わたしだけではなく周辺に目撃されやすいという点に加えて、目撃されたらすぐに捕獲の対象にされてしまうということだと思います。
(捕獲されたら、その生き物がしたかのような工作が出来なくなりますからね。)
これに加えて環境の問題もあります。
今日(19日)も雨が降っていますが、わたしに対する嫌がらせや行動などによって自然環境を変えています。
これも人間が人工的に手を加えているので、半自然状態にされていると言ってもいいと思います。
そのために知らず知らずに環境に変化が起きて、人が住めない状態になっている可能性があります。
人工的に自然界に歪みを作ってしまえば、自然界はそれを元に戻そうと反発するはずです。
それに加えて人口の多さと金儲けのために環境破壊が進んでいます。
環境の反発は、ますます進むはずです。
このことを考えれば畑などは、人間が出入りしているので人間の匂いが残っているはずです。
なので警戒心が働いて不用意に近ずこうとはしないはずです。
生き物が危険ではないと判断したのであれば、それは半自然状態に慣れている証拠かなと思ったりもします。
わたしはこの集団ストーカーのストーキング工作で危険な人仏像に仕立て上げられているはずです。
(わたしにはそのような情報が全く入ってこないので、わたしの想像と加担者の動きそして工作内容を調べそのように判断しているだけです。)
なので仮想の現実化のようなものなのかなと思っています。
このような言葉があります。
ナチス・ドイツの宣伝大臣であったヨーゼフ・ゲッベルスの有名は言葉にこのような言葉があります。
「嘘も百回言えば真実となる」
これは「真理の錯誤効果」と言われています。
(選挙などで同じ言葉を何度も何度も連呼されていると思います。)
この集団ストーカーの工作にも、この錯誤効果が利用されているはずです。
この錯誤効果には、いい面と悪い面を持ち合わせていると思います。
(これは錯誤効果を利用する人物像によって良し悪しが決まると思います。)
この集団ストーカーでは、まさに悪用です。
実際の犯罪というのは本人が行っているため、本人の自覚があるはずです。
しかし、この集団ストーカーのターゲットにされているわたしにしても全く内容がわからず把握することすらできません。
なので、この集団ストーカーというのはまず嘘の噂話を先行させておいて、その嘘の噂話に沿った人間性に仕立て上げようというのがこの集団ストーカーのストーキング工作だと思います。
防犯活動などは見せかけだけです。
逆を言えば、この防犯活動で嘘の噂話通りの人間に仕立て上げようというのが本来の狙いだと思います。
(この集団ストーカーの加担者には分からないはずです。)
今までの社会構造がそうなっていたはずです。
要するに何でもそうなのですが、良くすると思わせて実際はすべてを良くしてはいけないというのが今までの社会だったはずです。
(金儲けをするために、顧客の種をすべて摘み取ってはいけない。)
これを言い表している表現として、この集団ストーカーに加担している加担者の方々は、わんさかとわたしの周辺にやってきています。
これはどういうことでしょうか?
危険人物に仕立て上げられているけれども、実際は危険ではないと判断をしているのでしょうか?
それとも何も知ることなく、お金儲けのために言われた通りに行動をしているだけなのでしょうか?
自然の中の不自然ですね。
不自然から作り出された集団ストーカー工作です。
(加担者は工作だとは思っていない可能性があります。)
前回のブログの内容で神社に向かって左側の山の中に動物の捕獲用のワナが設置されていることを記載させていただきました。
内容を知りたい方は、
↓
密かに作り上げた偶像世界が現実社会とリンク?|日々の出来事
https://hibi-dekigoto.com/2024/10/09/blog/11086/
神社横の山に置かれている檻は動物を捕まえるためのようですが、四方を鉄柵で閉ざされています。
これは捕獲のワナではなく、その動物を運んできたのではないかなと思っています。
その檻をそのまま捕獲用の罠としておいているだけだと思います。
このような捕獲の罠があれば、とっくに檻に捕獲されて自宅の裏庭にも動物はこないはずです。
本当にアレレです。
結局この連中が動物を連れてきて、動物が出ると大騒ぎしているだけだと思います。
今までの会社構造の儲けのシステムと同じです。
いつもわたしが言っている裏で悪さをして表で助ける。
このシステムを作り上げ、表で助けるための設備に投資をするような感じだと思います。
一人二役です。
芝居の一人相撲です
これは政界によく似ていると思います。
政界もある意味、劇場の演劇だと思っています。
日本政府は役者で、その役者を動かすスタッフや監督、そして脚本家がいます。
その日本政府の演劇を見るために観客として日本国民がいます。
その日本国民が日本政府の演劇を見て、どれだけの入場料(税金)をその演劇に対して払うかだと思います。
(まぁ、税金は少ない方がいいですが、これからは入場料無料でもいいかなと思います。)
この集団ストーカーもこれによく似ていると思います。
これはターゲットにされているわたしの考え方で、加担者の方にもそれぞれ考え方あると思います。
この集団ストーカーは、わざと危険素材を持ち込んでその場の雰囲気を盛り上げておきながら、その対策を他人任せにするようなそんなシステムだと思います。
この危険素材によって何も知らない国民や市民は恐怖心を抱くようになります。
その恐怖心の解決や対策に対して、お金が動くシステムだと思います。
(もしわたしが危険人物にされているのであれば、このお金のシステムに組み込まれているはずです。)
そしてもうひとつの内容があります。
それは、この集団ストーカーのストーキング工作を実行するには金属が必要だという紛れもない事実です。
その金属をどのように設置して、どのように誤魔化すかがこの連中の集団ストーカーの大きな鍵になっていると思われます。
なので、動物など出没する事のなこの場所に動物が出ると言いふらして動物よけの鉄柵を山の中に設置されています。
この集団ストーカーの大元の輩が、危険素材を持ち込んだり偽の噂話を広めたりして恐怖心を煽りながら、その対策に物流やお金を動かす仕組みを作り上げているのだと思います。
(現在、車の運転でも煽り運転が横行しています。この集団ストーカーと同じように作り上げられているのかな?その前は飲酒運転が横行していました。何か変ですね。)
このようなことに協力して、人海戦術のように行動をしているのが某宗教団体だと思っています。
某宗教団体は依頼請負いをしていると思いますね。
流行にしても、そうだと思います。
この某宗教団体がそのように動けば、国民はそうかなと思ってしまいます。
これが現在流行っているのかなどと思ってしまい。
国民はつられてしまうでしょう。
(このようなことから、フィッシング詐欺という言葉が生まれたのかな?ターゲットにされているわたしは釣りを趣味にしていましたからね。なおさらかな?)
この集団ストーカーのストーキング工作で、会社や企業の不祥事なども作り上げることができるでしょうね。
もしですよ。
この依頼人が公安警察や公安調査庁のようなところだったらどうでしょう。
なんとなくそんな感じもしないではないです。
もしそうだとすれば、なんとなくスッキリしませんか?
例えばですよ。
ソフトを開発する企業があるとします。
その企業はウイルス対策ソフトを開発している企業とします。
もし、世の中にすべてウイルスが存在しないとします。
そうなれば、この企業は存続が出来なくなります。
もし、この企業の存続を可能にするにはどのようにしたらいいでしょうか?
この企業が業績を上げるには、ウイルスが必要になります。
ウイルスが必要になるのですが、その企業はこのウイルスをどのように扱ったらいいでしょうか?
単純に考えれば、世の中にウイルスが存在する状態を作り上げればいいのだと思います。
この集団ストーカーに限らず、このような内容は結果が重要でななく過程が重要だと思います。
どのような過程を踏んで世の中にウイルスを広めたらいいのでしょうか?
裏社会を利用しますか?
この企業がどこかに秘密厳守で依頼をしてウイルスを撒いてもらいますか?
(これは架空の話です。)
これ集団ストーカーの嘘の噂話を広める手法に似ていませんか?
このような手法も考えられ、後は自然増殖させればいいと思いませんか?
現在も同じ内容が存在していますね。
そうすれば、ウイルス対策ソフトは必要な地位を確立できます。
しかし、ここで問題になるのがライバルの存在です。
今までは、絶対に一人勝ちが出来ない仕組みになっていました。
なので、ライバル企業の対策も必要になってきます。
(このことから、ライバルがいない業種や企業は闇そのものだと思っていいのかなと思います。)
果たして、この集団ストーカーにはライバルが存在するのでしょうか?
業績を上げている企業は、裏で何かしらの事をしている可能性があるはずです。
(すべてがそうだとは、言い切れませんがその可能性があります。このような言葉も存在します「正直者が馬鹿を見る」)
それが今までの世の中だったと思います。
この集団ストーカー工作も正しい行いでないことは確かです。
今までは、正義と悪が逆転した状態になっていました。
(正義というのは悪が金儲けをするための隠れ蓑でした。現在でもそうだと思います。この集団ストーカーがまさにそうだと言えるでしょうね。)
「嘘も百回言えば真実となる」や「嘘から出た実(まこと)」などは、この集団ストーカーのお家芸の可能性があります。
では、