前回のブログの内容で「マッチポンプ」の事を少し述べさせていただきました。
この集団ストーカーに限らず、マッチポンプは行われているような氣がします。
集団ストーカーでわたしはどのような人物像なのか?|日々の出来事
https://hibi-dekigoto.com/2026/02/15/blog/12040/
なぜ、マッチポンプ的なことをしないといけないのか?
それは、お金で生活をしているからに過ぎないと思います。
お金を稼ぐということが、今までの物質界の基本になってたと思います。
そのお金を稼ぐには、ある程度の物流の流れを作る必要があります。
需要と供給の中で、利益が発生すると思います。
なので「マッチポンプ」的な内容が必要になってくるのかなと思っています。
ですが、このマッチポンプというのは、意図的に悪い方向へ流れを捩じ曲げる必要があります。
自ら悪事に手を染めることにもなりかねません。
今まで良かったものをわざと悪くして、交換などの流れを作ることでもあります。
この集団ストーカーであれば、防犯活動がメインになっています。
この防犯活動を正当化させるために、集団ストーカーの加担者が自ら悪さをしている可能性もなきにしもあらずです。
これは、この裏工作によってターゲットが危険人物であるかのように言いふらされているような氣もします。
(わたしには身に覚えがなくても、そのようにされているのだと思います。)
これが、マッチポンプですね。
最初に言ったもん勝ちというような内容でもあります。
集団ストーカーの加担者が何かの悪さをしている可能性があります。
ですが、それをちゅうちょもなく平氣でしているのでしょうか?
日本は、昔からこのようなことを言われていると思います。
それは、誰が見ていなくても「お天道さまが見ている」という考えがあります。
こころの花。「『お天道様が見てる』の意味」
誰も見ていないので悪さをしても、必ず「神様は見ている」という戒めや教訓でもあります。
このことを小さな時から知っているというか教えられてきていると思います。
なので、誰が見ていなくても悪さをしないのが、日本人だと思っています。
つまり、自分自身で良し悪しを考えて行動をしろということだと思います。
良いか悪いかの判断をする自覚を持つといいますか、自覚を求められます。
他人を思いやる気持ちです。
(それをすることによって誰かに迷惑をかけてしまうのでは、という考えでもあると思います。)
なので、日本は思いやる気持ちを優先させる国だと思います。
なので、日本は森を育てる考えが一般的だと思っています。
こころの花。「恩を忘れない心」
海外のように一本の木を育てるような考え方ではないはずです。
森を育てることで、自分の木も生育するというような考えだと思います。
なので、この集団ストーカーのような見ていないから、分からないからというような考え方はできないと思います。
電波だから見えないから、何をやってもOKというような考えはありません。
漢字でも分かるように、天の道です。
天の道から外れるなといことだと思います。
天の道から外れると、外道になります。
利他の精神が欠如した行為だと思います。
このわたしのいる自宅も、加担者による車両ストーカーが一日中、ひっきりなしに自宅前を走行しています。
これが、集団ストーカーだと言わんばかりの車の走行が毎日わたしの思考のタイミングに合わせて走行を行っています。


