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集団ストーカーは学校のイジメの大人版?|日々の出来事

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この集団ストーカーは見る方向を変えてみれば、これは学校のいじめと同じですね。
学校のいじめの大人版ですね。

そのいじめやからかいが発展・展開したものだと言えます。
学校のいじめも一人の人間に対してクラス全体がいじめに加担しているような感じですからね。

この集団ストーカーも、一人のターゲットに対して町全体が加担しています。
形態としてはよく似ていると思います。

学校との違いは、直接手を出すことがなく精神的なハラスメントであることと、お金儲けをプラスさせていることですね。

大日月地神示 朗読「続」大日月地神示 23.01.24 因果の仕組み

 

22日の朝、7時半頃台所に行くとペタペタと子供らしき人間の走る足音が聞こえてきました。

この走る足音や女性のハイヒールのコツコツと歩く足音は未だにこの集団ストーカーの工作として使用されています。
(この音を音の送信として、わたしの居る台所に音を送り込んでいます。)

自宅の台所は、表側の外に二箇所アース線が埋めてあります。
そのアース線を利用して音を送り込んでいます。

なので、どんな音でもすぐそばで音が出ているように聞こえます。
子供の走る足音の後に「おはよう」と大人と子供の交わす声が聞こえてきます。

いかにもわたしの自宅のそばの神社前が集団登校の集合場所にされているようなイメージを出しています。

しかし、これは音の送信で実際は誰もいないと思いますね。
まぁ、確認をしたわけではないのでなんとも言えませんが、たぶん誰もいないと思います。

前はこの時間帯にトイレに行くことが多く、トイレに行くとこの大人と子供の「おはよう」と交わす声を聞かされていました。
(トイレも音の送信が可能な状態にされています。)

今思えば、トイレに行く時間帯も操作されていたのかなと思っています。
このように集団ストーカーは、なんでもない日常生活の音を利用してターゲットにストレスを与えるような聞こえ方に変換されています。

それが音の送信でもあり、この集団ストーカーの工作のほとんだがこの手法の工作でもあります。

まぁ、そうですね。
自宅内にいるターゲットに対して工作をしようと思えば、そのような音の工作になると思います。

これは防犯活動に見せかけた嫌がらせやイジメ・からかう行為ですね。
大人版のいじめです。

防犯活動は名目上のことで実態は精神的なイジメです。
精神的なハラスメントです。

やはり、この集団ストーカーは表と裏の策略があります。
裏の工作は、表では見えないような工作をされることもあります。

小便でトイレに入ると、しっこが出るタイミングに車のドアをバーンと閉める音を聞かされることもあります。
(人間としてどうかなと思うのですが、加担者にはターゲットの行っている行動がわからない場合もあるようです。電気信号のみで音出しをしている場合もあります。)

トイレというのはこの連中にとって格好の工作場所なのか分からないのですが、わたしが仕事をしている時から頻繁に工作をされていた場所でもあります。

やはり、この集団ストーカーというのが防犯活動に見せかけた嫌がらせやいじめでもあるので、人間として大切な行為に対しての工作が多いのかなと思います。
(食べることと、出すことです。)

わたしが小学生の頃に集団登校があったのか、なかったのかハッキリと覚えていませんが、あったとすれば集合場所は神社の前のはずです。

しかし、わたしはこのような事をしていたと言いますか?
させられていたような氣がします。

わたしの自宅から見て東側になだらかな下り坂があります。
その下りきった場所に借家がその当時はありました。
(この内容でなのか分かりませんが、現在神社の場所で借家の解体工事の作業が行われています。)

そこに母子家庭の方が住んでいて、同級生だったのかハッキリと覚えていませんがその友達を誘って学校に行っていました。

そこのお母さんが夜の仕事をされていて、その友達が学校に来るのがいつも遅くなっていたのでわたしが誘って学校に行く事になっていたような氣がします。
(毎朝随分と待たされていたことを覚えていますね。)

でも、よくその家に遊びに行ってたことを覚えていますね。
それは、そこの家が犬を飼っていたからですね。

その犬と遊ぶためによく行っていました。
そこの借家の裏がまさに湿地帯の竹林だったことをよく覚えています。

このわたしの自宅周辺は竹や熊笹が多く生えていた場所でもあります。
山にも沢山の熊笹が生えていましたが、今は見る影もありません。

そして、その犬が病氣で亡くなりその友達と二人でその犬をダンボールに入れて、そばを流れている天神川に流してあげたことを今でも覚えていますね。
(小学生のしたことで、その当時それで良かったのかは分かりません。)

その頃はまだ天神川も護岸工事が行われる前で水深もあり、穏やかな流れの川でした。
そのような川だったので、その頃に竹竿で釣りをしていました。
(これがわたしの釣りの始まりです。)

大日月地神示 朗読(音読)後巻「十八」の巻 人民、獣人(猿系)から他所の星の人々掛け合わせお創りいたした肉体・・地の人民のご先祖様方は天の宇宙におられますのじゃぞ。

 

23日から気温が下がり、24日から雪になりました。
雪がドンンドン降り積もり、25日は積雪になりました。

積雪になったので、25日の午前中に玄関周りの雪かきをしました。
雪かきをしているとですね。

自宅横の軒下に思わぬものがいました。
なんで、こんなとこにと思ったのですが?

それは、ムクドリらしき鳥が死んでいました。
これは、この連中が電磁波を利用して死なせたのかなと思ったりしました?

これは、この連中がどこかで死なせてこの場所に持ってきたような感じではありませんね。

それは何本かの羽が抜けていました。
まぁ、そのように見せかけるのも容易だと思いますが?

雪が降っているので工作員が持ってくれば足跡が残っているはずです。
しかし足跡は残っていません。

この鳥の死骸はかなり時間が経っているようで、もし工作員が運んだとしてもその後かなりの雪が降り積もっています。

足跡を隠すことは十分可能です。
鳥には外傷はなく、それに一番の疑問は軒下の雪の積もらない場所だったということですね。

すぐわかるような場所でした。
もし、雪が降り積もる場所だったらこの雪で埋もれていますからね。
(雪が積もる場所なら雪解けがなければ分からなかったと思います。)

わたしが雪かきをする事は分かっていたと思います。
それで、すぐ見つかるような場所にしたのかなとも思います。

わたしの周りにいるカラスやムクドリなどの鳥は、ある程度ラジコンのようにコントロールができるような状態にされているはずです。
(なので軒下に誘導された可能性があります。)

これが起きたキッカケは、こうだと思います。
その日の前の24日に、台所にいた時のことです。

わたしの何かの動きのタイミングに鳥が鳴き出しました。
その鳴き声は台所の前方から聞こえてきました。
(鳥の鳴き声の音出しだけかも分かりません。)

雪がどんどんと降っている中、わたしの動きのタイミングに台所のそばで鳴き出しました。

その鳴き声にちょっとカチンときた覚えがあります。
これは鳴いている鳥あるいは、それを鳴かせている加担者の問題でわたしの問題ではないのですが、少しカチンときました。

何か?
いかにものんきな感じがして、少しカチンときました。

どんどんと雪が降りしきっているのに、のんきに電線に止まってわたしのタイミングに鳴かされているかと考えたらカチンときました。

わたしのそばで鳴いているのが、少し何というのでしょうか?
餌を探さなくてもいいのかと思ってしまいました。

それで、あまりにもうるさく鳴いているので「お前にはエサはないゾ!」と言ってしまいました。
(悪気はないのでその点はご勘弁ください。)

24日にそのような経緯が、台所でありました。
そして、25日の雪かきの出来事につながります。

そしてその鳥を手のひらに乗せ、今までありがとうと声をかけて、山の中に埋めてあげました。

少し悲しくなり涙を流してしまいましたが、感謝感謝ですね。
次はこの連中の工作に利用されないように、楽しく過ごしてねと手を合わせました。

雪かきの目的は他にもあります。
それは、庭木などの木に積もった雪を払いのける事です。

雪の重さで木に幹が、グニャーと曲がったりしている木もあります。
そして、その雪がいつ落ちてくるのかも分かりません。

特に南天などは、幹が柔らかいので曲がったままになっています。
実際にそのように聞こえたのではなく、わたしがそう思ったのですが早く雪をどかしてと訴えているような氣がしました。

それで早くしないと、と思って雪かきをしました。
この内容は、一旦メモ用紙にメモしてからパソコンに打ち込んでいます。
(日の出前から午前中は、いろいろな内容が頭に浮かびメモがすらすらと進むことが良くあります。)

しかしですね。
このメモの内容も、この連中は見ているし思考も読み取られています。

それでなのか分かりませんが、昼前から雪が降り始めました。
とにかく、この連中は私の行動に過敏になっています。

世の中が逆転したのかなというような感じです。
本来であれば、わたしの方がこの集団ストーカーの工作に過敏にならないといけないのでしょうが、長期にわたる毎日の工作で慣れてきたと言いますか、それが当たり前の日常生活になっています。
(このような工作に慣れてしまってはいけないのでしょうが?)

今までであれば、パソコンの内容で工作をされていました。
しかし、現在はパソコンの電源も入れておらず、メモの内容だけで雪を降らしています。
(相当に、せっぱ詰まっているのかなと思たりします。これは確かに火種はわたしにあったのかも分かりませんが、その種を蒔いたのはこの連中です。)

なんと言ったらいいのでしょうかね?
やっていることが、子供のいたずらと同じような感じでなんともです。
(まぁ、嫌がらせやイタズラはどの年代が行っても同じような内容になると思います。)

わたしが言えば、言った内容がそのままの反応として返ってきます。
少しは考えないのかなと思ったりしますが、なぜかオウム返しのような感じです。

これでは無理だなと言う考えも思い浮かんできます。
じゃー、もしわたしを押さえつけて居なくなったその先はどうするのですか?
(その時は、別のターゲットを探すのですか?集団ストーカーは終わりですか?)

わたしはブログを更新していません。
わたしのブログの更新前後に天候の悪化をさせるのではなかったのでは?

それなのにこの雪はなんですかね?
ブログの更新の予想を立てて天候の悪化をさせているのでしょうかね?

思考やメモそしてパソコンの内容を読み取っていたとしても、それは予想でしかないということだ思います。

思考などの内容は、いつだって変更が可能です。
その思考の変化に対処できるとは思えません。

この思考の変化に対処するにはどうすればいいのでしょうかね?
それは、未来の行動を読み取る?
(しかし、過去も未来も変更が可能だと思います。現在を変えていけば過去も未来も変わります。間違っていますか?)

結局、この集団ストーカーの工作はターゲットの行動に紐づけることができないということになりませんか?

この加担者の先走りやフライングは、十分可能だと思います。
もし、この集団ストーカーの工作にターゲットの行動を紐づけるとすれば、集団ストーカーの工作にターゲットが合わせることだと思います。
(集団ストーカーの工作にターゲットが共感することだと思います。それは多分ないと思いますが?)

もし、わたしがブログをずーっと更新をしなかったら、先走り先走りでどこかにすっ飛んでしまうかも分かりませんね?
(冗談です。ごめんなさいね。)

この集団ストーカーというのは、世間を騒がせる動かすネタと言いますか情報が欲しいのだと思います。

大日月地神示 朗読(音読)前巻「や」の巻

 

そのキッカケをわたしから探し出そうとしているだけだと思います。
わたしが雪かきをしている時に、不自然にバッグを持った男性が通り過ぎて行きました。

公安警察の方ですかと、お聞きしたかったですね。
バッグの中は、録画の機材がぎっしりと詰まっていたりね。

結局はキッカケを作るための情報が欲しいのだと思います。
その現れがすぐそばで起きました。

ゴミ収集車がすぐそばでスリップをして動けなくなりました。
これは予定通りのスリップなのか、わたしには分かりませんがスリップして動けなくなりました。
(スコップで雪をかき動けるようになりました。)

やはりこのことを考えると、きっかけだと思います。
わたしが良い・悪いではなく世の中をかき回し物やお金を動かすためのキッカケが欲しいのだと思います。

言い換えれば、このキッカケがこの連中のメシのタネになります。
だってそうだと思いますよ。

わたしが釣りをしていた時などは、まさにそうではないでしょうか?
わたしはただ単に釣りがしたかっただけです。

それなのに、いろんなことを始め出したのはこの連中ですからね。
だから、その行為・工作から逃れて静かに釣りをできる場所を探し求めていたのはこのわたしです。

なのに、行けば行くところで工作が始まります。
これが、この連中の本性だと思いますよ。

わたしのブログの内容で、この連中の輩の本性がバラされるのが困るのだと思います。

それをバラされては困るので、このような状況になっているのだと思います。
結局、悪はどっちなのでしょうか?

では、

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