まだ、まだ終わらないのか?
この集団ストーカー工作?
日々の出来事のように、なっている集団ストーカー工作です。
わたしは、3月30日の日に散髪をしました。
わたしが、気温の低い時期に散髪をすると大概、気温が下がります。
お決まりのようになっています。
散髪をしているので、気温が下がると頭は寒いですね。
特に首筋が寒いですね。
ここまでして、わたしを困らせたい理由が分かりません。
台風もそうです。
天氣図の氣圧配置や雲の固まりを見ていて、この辺に台風が発生しそうだなと考えていると何日後には台風になっています。
いっておきますけど、わたしにはそのような能力はありません。
ただのぺーぺーのおっさんです。
(わたしの情報を元に工作をしていると思われます。)
わたしはこの集団ストーカーを台風のようだと表現する時もあります。
それは、台風の目がターゲットになりその周りで、加担者や工作員の工作が渦巻いています。
(台風は低気圧が発達したものなので、反時計回りです。)
この連中は、わたしの考え思考や行動で世間を騒がせるような内容を考えているような氣がします。
(世間を騒がせることによって、どれだけの税金を獲得できるかが工作の焦点になっていると思います。)
わたしの考えを読み取って、この連中が面白半分に工作を行なっているとしか思えないですね。
何かをしようとすると、雨が降ったり風が吹いたり、ほんとにええ加減にしてほしいですね。
散髪の話にもどしますけど、頭と首筋が寒かったらマッサージをすればいいのだなと、今思いました。
マッサージをすれば、血行もよくなって白髪まじりの頭も黒髪に戻るかな?
なんてね。
それと、散髪をすると分からないように写真を撮っていたようですね。
まぁ、風貌が変わりますから現在の姿・状況を把握しておきたいのでしょう。
(男前に撮って頂けるとありがたいです。)
隣は、3月いっぱいで引っ越しをされました。
わたしは仕事場を隣にしようかなと考えたことがありました。
すると、間髪いれずに隣の入居が決まりました。
(現在はありませんが、隣の隣も同じです。)
わたしは、高校までここの実家にいて高校を卒業と同時に県外にでました。
それまで、隣の庭には畑が作れるくらいの広さがありました。
(実際、畑になっていました。)
今は土を取り除き、道路から出入りできる駐車場になっています。
わたしの自宅の庭も、今よりは広くトウモロコシやひまわりが生えていました。
そして、現在、五輪塔(おじぞうさん)のある場所に、父親がニワトリ小屋を建てたのか、ニワトリ小屋がありニワトリを飼っていました。
なので、卵は、そのニワトリが産んだ卵を食べていました。
今は、家の自宅の庭も狭くなり、ニワトリ小屋のあった場所も、そのようなスペースは、どこにもありません。
それは多分、山への入口になる場所に、階段を設けているからだと思います。
その階段があまりにも広すぎます。
(この階段にスペースを取られています。これは利権としてコンクリートを多く使う必要があったのかな?)
その階段を作り時に出た土を、ニワトリ小屋のあった場所に入れたかな?
わたしが、県外に出てから地域が一変しています。
わたしの知っている人は、自宅周辺だけで後はほとんど分かりません。
土手の周辺は畑ばかりでしたが、現在は宅地になっています。
わたしが居た時の人は居なくなり、人も入れ替わり建物も変わっています。
山から神社・地域まで、ことごとく工事の手が入っています。
岩まで、けずっていますからね。
昔の面影はありません。
この写真は、わたしが産まれて何歳くらいの時か分かりませんがこんな写真が残っていました。
わたしは、昭和32年生まれです。
写真を撮った場所は、自宅の前の道からです。
撮影場所は自宅前の道路だと思われます。
現在はありませんが、この石垣が自宅の石垣です。
自宅の前でも、自宅の東より(山に向かって右側)だと思います。
後ろに見えるのが、石垣です。その上に自宅があります。
現在は、この石垣を全部取られ、コンクリートで固められています。
わたしが、小学校の頃は、この石垣のそばに、小さな滑り台(雪で)をつくっていましたからね。
それでも、邪魔にならなかったと思います。
まぁ、昭和40年前後の頃ですから、車はほとんど通りませんのでね。
後ろで支えているのが、祖母です。
祖母は母親と違って厳しかったので、その影響があるかも知れません。
だから、この場所に椅子を置いて、カメラで撮れるほどの距離の広さの道路だったと思います。
今現在、この場所に椅子を置いて、カメラで撮影しようと思えば、どこかの家に入らないと撮れないかな?
それとも接写ができるカメラだったのかな?
斜めだったから出来たのかな?
まぁ、斜めから撮っているようだから、できたのかな?
そして、母親が亡くなり整理をしていたら、わたしの母子手帳が出てきました。
なので、67年前の母子手帳です。
(母子手帳によると体重が3.8kgもあったようです。大きかったのかな?)
裏はコナミルクの広告付きです。
そして、自宅の裏山の上には、少し広場があります。
その広場は、昔神社があったそうです。
その神社は西側に移動し、現在の稲荷神社です。
その神社跡にも、石垣があったのですが、それも撤去され、コンクリートに変えられています。
これ、ここまでする必要があるのでしょうか?
この石垣の撤去工事により、上の広場も狭くなりその下も狭くなっています。
それはなぜかと考えてみたら、これも結局コンクリートを多く使いたいということだと思います。
垂直ではなく、だいぶん斜めに作られています。
斜めにすれば、上も狭くなり下も狭くなります。
(その分、コンクリートが余計に必要になります。)
そして、多分ですよ。
神社の移転で、出た、廃材でニワトリ小屋とか、裏庭にある物置小屋などを、父親が作ったのかもわかりませんね。
神社の物らしきものが、裏庭にはありますね。
瓦とかね。
自宅には関係のない物なのですが、現在は自宅の一部になっています。
大きな丸い石とか、たぶん土台だと思います。
これも多分ですが、わたしの自宅は道路より一段高くなっています。
これは、神社を作るときに、山の一部分を削り平地にしたときに出た土で高くなっているのだと思います。
なので、自宅は神社跡の真下にあります。
その上に、自宅を建てたのだと思います。
そして、わたしが県外に行っている時に、この周辺一体を工事が行われ、そのときに自宅周辺の土の中から五輪塔がでてきたそうです。
五輪塔を、土の中に埋めてしまうなんてことがあり得るのかなとわたしは思うのですが、でも出てきたそうです。
詳しい事は、わたしにも分かりません。
そして、わたしの自宅から五輪塔のそばを通って、少し山に上がると、大きな椎(しい)の木があります。
ちょうど、柵がしてある場所です。
その椎の木に、雷が落ちて、木の中がえぐりとられています。
いまでも、元気いっぱいの木です。
なぜだか、わたしがよく立ち寄った場所でもあり遊び場でした。
その周辺は草が生えておらず、土も少しえぐれていました。
でも、いい遊び場でした。
(2024年の現在はこの連中にめちゃくちゃにされ、見る影もありません。ありませんがその時の感謝のために今でも手を当ててお礼を言っています。)
今は、工事をされ、わたしが遊んでいた頃の山の形状ではありません。
平地だった所が、斜面になったりしています。
だから、山をここまでして、変える必要があったのですか?
と、聞きたいですね。
これも、もしかして防犯対策ですか?
これ、単なる工事の受注を増やしただけではないですか?
工事をしたために、余計に悪くなっています。
ちょっと、不思議に思うのですが、石垣のときには、石垣の隙間から草が生えてくるような事は、あまり見かけなかったですね。
しかし、これをコンクリートにすると、コンクリートを割って草が生えてくると思いませんか?
なんか、不思議ですね。
なんとなく、石垣の時は、気持ちよく過ごせていたのに、コンクリートに変えてから、息苦しくなり、コンクリートを割って出てきているような感じに思えます。
みなさんは、どう思われますか?
植物の生命力の強さでしょうか?
コンクリートより、植物の勝ち!
でしょうか?
自宅の斜め前の駐車場には、前は木造のアパートがありました。
ボヤ騒ぎがあったそうで、建物は解体され今は月極の駐車場になっています。
道際の、すこしなだらかになっている箇所が、アパートの入口で、2〜3段の階段があった場所です。
通学の時は、この場所を通り抜けしていました。
多分、わたしさえ居なくなれば、この場所や土地はこの連中の好きにできるでしょうね。
わたしには、次がありませんので、わたしの代でこの家は終わりです。
これも、この連中の工作をしているひとつの目的ではないのかなと思います。
工事により、土地がちょっとずつけずられています。
自宅前の道が、S字カーブを描いています。
そのことを、物語っているのではないでしょうか?
昔、道をつくるときに、わざわざS字カーブを作りますか?
そりゃ、障害物があれば別でしょうけど、なんにもない所でS字にしますか?
このようなことも、すべて公安警察の指示で行なわれていたのでしょうか?
この文字を打ち終わると、雨が降り始め、救急車のサイレンがなり始めました。
いかに、そう云う連中が絡んでいるのかが分かりそうですね。
何年か前に、内容をネットからコピーしていたテロ記事の内容を見ていると、救急車のサイレンがなりはじめました。
テロの文字に、反応したのだと思います。
(時間は4月1日、午前9時36分頃、面白い事に3の倍数のですね。)
このことからも分かるように、わたしはテロにも関係しているような人物に仕立て上げられていると思いますね。
(このような内容にサイレンを鳴らす工作は、ほのめかしでしかないと思います。)
第一級の危険人物にすればするほど、警備や防犯にもらえる税金も高くなるそうですからね。
多く貰えるそうですね。
これが、第一級危険人物に仕立て上げる理由では???
見えない組織的な集団ストーカーと、見える組織的な集団ストーカーがあると思います。
わたしから見れば、氣がつく集団ストーカーと氣がつかない集団ストーカーです。
加担者から見れば、氣づかせない集団ストーカー工作と、氣づかせる集団ストーカー工作があると思います。
氣づかせると云う事は、もうそろそろ終わりにしましょうね。
と、云うサイン・合図のような氣がします。
この集団ストーカー被害を受けるようになった内容にも、さまざまな内容があります。
某宗教団体のトラブルなどによる集団ストーカー被害は、即、氣づかせる集団ストーカー工作から始まると思います。
全国では、さまざまな街宣活動をされています。
集団ストーカー糾弾!大阪街宣!押越清悦②2019年2月18日
集団ストーカー糾弾!大阪街宣どんちゃん②2019年2月18日
しかし、わたしの場合は、某宗教団体とのトラブルはありません。
憶えがありません。
わたしの集団ストーカー工作は、某宗教団体が関わっています。
わたしは仕事面で、某宗教団体の方にお世話になっています。
なので、これは裏と表なのだと思います。
この集団ストーカーにしても、某宗教団体にしても、警察にしても裏と表なのだと思います。
裏の顔と表の顔のバランスによってお金・利益を生み出しているのだと思います。
実際トラブルはありません。
トラブルとは関係ないと思います。
(ここで、車のクラクションをならされました。)
ここで、クラクションを鳴らしてきたと云う事は、トラブルがあると云う事でしょうか?
じゃー、そのトラブルは、どんなトラブルですか?
ぜひ、お聞かせ願いたいのもですね。
わたしの集団ストーカー工作は、必ずと言っていいほど利権が絡んでいる事は、確かだと思います。
わたしの学生の頃の記憶は、ほとんどありません。
記憶を消されてしまったのかなと思えるくらいです。
記憶力が悪いのか?
多分、記憶力が悪いのだと思います。
それに加え、小・中・高で記憶に残せるような学生生活を送っていなかったかも知れません。
それでも、ポツ・ポツと断片的に憶えている事もあります。
小学生の時の話です。
何年生の時のことなのか、それは分かりません。
小学校の前に、川が流れています。
その川の名前を、天神川(てんじんがわ)といいます。
その川が、大雨で氾濫した憶えがあります。
ちょうど、小学校の前の土手が、決壊したようで、水が流れ込んできました。
その氾濫した川の水が、どんどんと小学校の校舎内に、流れ込んできました。
みるみる水かさが増し、学校は休校になり自宅退避になりました。
自宅退避は、いいのですけど小学生の体(身長)です。
大人と違いますのでね。
小学生の体でたしか、膝ぐらいまであったかなと思います。
その記憶は、ちょうど校門の手前で、校門に向かっている一場面です。
このとき、不思議な事に他の生徒や生徒の姿が記憶にはありません。
あるのは大人の人が校門のそばで、嬉しそうに微笑んでいる姿だけが印象に残っています。
これだけです。
わたしに残っている印象は、これだけです。
それから、小学校を卒業して中学生になってからでしょうか?
それとも、高校かな?
それも、定かではありません。
その天神川の護岸工事がはじまり、コンクリートで固められてしまいました。
(これもなぜか、氾濫するような工作がされていたのかもというような印象があります。)
だから、もしかして、わたしの集団ストーカーというのは小学校の時から始まっていたのでしょうか?
もちろん、わたしから見れば氣づかない集団ストーカーです。
それまでは人体実験を含めて利権がらみで、こっそりと行っていたのでしょうか?
現在でもそうなのですが、やたらとわたしの周辺で建築がいたるところで行われています。
(中学校の移転、高校の移転、小学校は昔の面影がないほど配置換えが行われています。まぁそれだけではありませんからね。三洋電機の問題も大きな問題でしたからね。)
わたしは、中学生の時に海釣りをはじめました。
海釣りといっても、砂浜からの投げ釣りです。
日曜日、少し早めにおきて、自転車にクーラーと竿をくくりつけて、今の鳥取港の辺りまで出かけていました。
その当時は、港ではなく、砂浜でしたから、投げ釣りができました。
まぁ、だいたい昼過ぎまで、投げ釣りを楽しんで自宅に帰っていました。
この釣りをしているときも、だれか大人がわたしをつけている。
見ている。
と、いう印象がありました。
誰かが見ているような、氣がしていました。
この前から、鳥取市を流れる千代川(せんだいがわ)の工事が始まっていました。
曲がって海に流れていた川を、真っすぐ海に流す工事をして、砂浜のあった場所が、鳥取港に変わりました。
今考えると、断片的ではありますが、小・中のときから、なにやら監視のようなことを、されていたような氣がします。
わたしには、理解できない知る事の出来ない、隠された部分があるのかも知れませんね。
なので、氣づかない集団ストーカー工作から、氣づかせる集団ストーカー工作に変わってから、だいたい20年位になると思います。
やはり、よーいどんで始められている印象があります。
氣づかせる切っ掛けになったのは、群馬ナンバーの車です。
これも公安の方なのでしょうか?
なので、このことから集団ストーカーは全国規模で行われています。
それまでにも、嫌がらせや・迷惑行為や・付きまといのような事をされ、引っ越しを繰り返していましたが、それが集団ストーカー工作・行為だとは、認識はしていませんでした。
その時は、集団ストーカーという言葉も知らず、なぜ嫌がらせや付きまといのようなことをされるのか分からないまま、引っ越しを繰り返していました。
(引越しをしてもその地域住民により同じことが繰り返されるだけでした。)
それが、ちょうど御弓町(おゆみのちょう)に引っ越してからです。
寺町(てらまち)のとりなりにあるのが、御弓町です。
地元の人にしか分からない内容で、申し訳ありません。
その寺町の隣にある御弓町に、引っ越ししてから、この群馬ナンバーの車に出会いました。
わたしの帰りを待っていたようです。
わたしが帰宅するために、車に乗り込みエンジンをかけると、わたしの目の前に一台の車が現れました。
わたしの帰る方向です。
エンジンをかけ、しばらくしてから車を発進させました。
もう、だいぶん先に行っているのかなと思っていたら、わたしの車を待っていたのか、わたしの車はその車の後ろにつく事になりました。
その時、初めて県外車と分かりました。
それが、群馬ナンバーでした。
この鳥取市では、余り見かけないナンバーなので、珍しいなと思いつつ走っていると、なんとなんと、わたしの行く方向、方向の走っているではないですか。
なぜだか、わたしの車を確認しながら、走っているようでした。
交差点で止まるり、わたしが曲がる方向へのウインカーを出すと、わたしの車の行く方向を確認したのか、わたしと同じ方向のウインカーを出していました。
スピードもある程度押えた運転で、わたしの車をけんせいするかのように走りながら、自宅(この当時は団地住まいでした。)まで付いてきました。
たぶん、すでに自宅の場所は、知っての事だと思います。
ただ、どの道順で自宅に帰るか分からなかったのでしょう。
わたしの車を押えつつ、付きまといの行為を分かるように仕向けてきたのだと思います。
そして次の朝、仕事場に出かけようとすると、昨日の群馬ナンバーの車が停まって待っていましたね。
この群馬ナンバーの車を切っ掛けに、この集団ストーカー被害が激しくなりました。
そのころから、ぞろ目の高級車が増えてきましたね。
この集団ストーカー被害というのは、総理大臣が輩出された都道府県では、けっこうな割合で集団ストーカー工作が頻繁に行なわれている場合があるようです。
多分、それまでの工作で潰れると思っていたのでしょうけど、なかなかつぶれないので、群馬ナンバーの公安が直接介入してきたのかなと思います。
介入してきたというよりも、この鳥取市が利権と権力の実験場に認定されたのかなと思います。
わたしも、人体実験をされているのは、分かっています。
わたしの人体実験で得たデータ内容を元に、周りに広めているような感じもします。
シミュレーションでもあり利権や権力の温床に、されてしまったのではないかなと思います。
この防犯活動というのは、わたしの人体実験に対してだと思います。
危険人物や異常者というのは、カモフラージュのようにも思えますね。
要するに、人体実験をバレないようにする?
人体実験の妨げになるよなものは排除する。
危険人物や異常者は、人体実験を覆い隠すためだと思えますね。
これはわたしだから分かる話で、周りには、ほんとの事は分からないように覆い隠されていると思います。
毎日、決まったような時間に、照射される超音波と電磁波が人体実験を物語っていると思います。
多分、防犯活動に集中している加担者は、わたしの人体実験は知らないと思います。
防犯活動のみの工作が行われていると思います。
このような集団ストーカー被害というのは、隠された部分が非常に多くあり加担者側にまわってしまうと、調べる事もなく調べるすべをなくしてしまうと思います。
この集団ストーカーに加担してしまい、取込まれてしまったら変わる事は出来ないと思います。
防犯活動が、ほんとに正のかどうなのかという事も、分からなくなり周りに流されているだけになっていると思います。
集団ストーカー工作は、それが正しいかどうかを調べるすべがないと思います。
まぁ、この組織的な集団ストーカー工作は、日本中あるいは世界中に周知をしていかなければ解決は難しいと思います。
集団ストーカー工作もそうなのですが、このような隠された内容もまた広めていく必要があると思います。
どんな分野に於いても思う事なのですが、今までの世の中は複雑で、いかにも難しいようにされていたのだなとつくづく感じます。
人類を騙すために利権を得るために、複雑怪奇にしていたのではないかと思います。
世の中の仕組みはシンプルだと思います。
マグネシウムが糖尿病を世界から消す!
マグネシウムは、世界を救う(※拡散どうぞ)
この状態になっている地域を、中から変えるのは難しいと思います。
絵の具の色を変えるには、同じ色同士を混ぜていても色は変わりません。
他の色に変えるには、別の色を混ぜないと色は変わりません。
しかし、補色関係の色を混ぜれば濁るだけです
では、