この集団ストーカーの基本的な概念が、行動と目的が違うことです。
その行動と目的が違うことで、集団ストーカーの工作を作り出しています。

そして、その行動と目的が違う概念の中には、なんといっても見た目を誤魔化すという内容が含まれています。

現在、午前7時半前ですが、部屋の裏庭で何やら作業をしている声が聞こえてきます。
この作業は、わたしパソコンの文字入力と同時に始まっています。

これが集団ストーカーの答えです。
分かりやすくてバカバカしい行為です。

そして作業により、仕掛けが施されます。
監視や行動が把握できるような仕掛け作りがされます。

単なるごまかしです。
これをいい大人がやっているのですからお笑いです。
(それを誤魔化すように行われる作業です。今日は神社でお祭りがあり、その作業をしていたようです。このような作業もわたしの何かのタイミングから始まります。)

今回のタイミングはパソコンでの文字入力のタイミングに始まっています。
このパソコンは多いですね。

パソコンの電源を入れるタイミングやパソコンで作業をするタミングに天候が急変するようなこともよくあります。

録音をしてみました。
聞いてみてください。
(作業をしているのだけれども、大きな声を出したり笑い声が聞こえたり、タイミングに金属音などを出すことが多いですね。)

この金属音は工事などの足場を組むときの鋼製パイプの音を出しています。
これは、わたしが仕事をしていた時にこんな出来事がありました。

2013年07月06日(土曜日)
https://hibi-dekigoto.com/2013/07/06/hibi-dekigoto/3156/

録音は窓は開けてありますが部屋の中で録音をしています。
音の送信により、すぐそばで作業をしているように感じられます。

みささんはどのような距離感で聞こえますか。
二つ載せておきます。

再生時間は、2分13秒(work01)と34分39秒(work02)の録音です。
work02の録音の中で、7分48秒ごろにせき払いの音が入っています。
(これはわたしのせきばらいです。ご了承ください。この集団ストーカーの工作で喉がいがらっぽくされたり、痰が絡んだようにされています。ご勘弁ください。)

work01_240720_0718

work02_240720_0722

このようなことを少しでも多く作り上げるために、催し物や行事そして営業が車や作業の車が頻繁に出入りするように工作がされていきます。
(このようなことを増やすために地域の加担者が協力をします。)

このようなことこそが、この集団ストーカーの基本的な概念だと思います。
この集団ストーカーの工作は誤魔化しです。

わたしは前々から、このように言っていました。
「行動と目的は違う。」

これこそが集団ストーカーの最大の誤魔化し工作です。
この集団ストーカーは、この誤魔化し工作が全てでこれをもとに行われています。

そしてそれに音がプラスされます。
部屋では、人の姿が見えなくても話し声などの音は聞こえてきます。

これも集団ストーカーの基本中の基本です。
おっとっとーですね。

神社周辺から聞こえてくる声もよく聞こえるようになりました。
それは、これがきっかけになっています。

それは、解体による作業が行われてからですね。
たぶんその時に、仕掛け作りをされていたはずです。
(まぁ、集団ストーカーの工作づくりというのはこんなもんです。)

集団ストーカーは、すべてこれが基本に行われています。
これには本人からの見た目と第三者からの見た目が重要になります。

この誤魔化し工作は主にターゲットのがその場所で動く時間帯、そしてターゲットの活動範囲内で行われます。

なので本人からの見た内容と第三者から見た内容が重要になります。
本人から見れば嫌がらせのような付きまといのように思えても、何も知らない第三者から見れば何ら変わらない日常的な行動に見えます。

これがこの集団ストーカーでは非常に重要になってきます。
これが重要というのは、その作業がターゲットにしてみれば嫌がらせのように思わせることです。

しかし何の関係もない人には、ただの日常的な作業でなければなりません。
この受け取り方の違いを明確に出さなければ、このような工作の作業は続けられないと思います。
(ターゲットや第三者にも不快に思えたら、それは騒音のような迷惑行為でしかないですからね。まぁ、そこまで考えて行われているのかどうか分かりませんが?)

これがこの集団ストーカーの最大のメリットになっていて、加担者に悪い行動だと思わせることなく工作を続けることができます。

加担者は普段から行われている日常的な行動をするだけです。
それだけで十分なのです。
(それを少しオーバーに表現すればいいだけです。)

ただ、それをスターターなどの合図で行います。
そのスタートを促すもには、その場にスターターがいてスタートを促す場合や救急車などのサイレンや音で促す場合があります。

どちらにしろ、映画のカチンコの音のように何かの合図で動いています。
スタートを促す側は、わたしの行動や思考をつぶさに把握できる状態でなければスタータを促すことは出来ません。

ここに動かす側と動かされる側の関係性が必要になります。
漫才で言えば、ボケとツッコミの関係かな?
(このようにわたしの記載した内容を見て、わざとボケとツッコミを演じるこの集団
ストーカーの連中です。これからの世の中にこのような連中は必要ないと言ってしまえばそれまでですが、)

この集団ストーカーの工作が、もし親子三代にわたるものであれば三代目ともなればたぶん理由がわからないと思います。

この加担者連中は、わたしが自宅にいるときはわたしの自宅周辺に集まってきます。
そうしないと、わたしに対しての工作ができませんからね。

なので、普段人通りが少ない場所でも、この集団ストーカーが始まると異常な状態に変わってきます。

街をあげてのイベントみたいなものなので、地域住民は文句が言えません。
これが集団ストーカーに乗っ取られて地域の現状です。
(この現状を見てもこの集団ストーカーの輩は必死になっていると思います。集団ストーカーの現状がバレたら大変ですからね。一氣に警察とドロボーの関係性が逆転状態になります。)

自宅に居るときは、まぁ加担者が自宅周辺に集まってくるのですが、わたしが出かけると、衛星などによる検知や作業により取り付けられた監視機能で加担者が次第に集まってきます。

わたしの体の中に仕込まれている金属やチップそして持ち物などのカード類でも把握できるはずです。
(わたしが新しく通る道などは、即座に作業が始まり監視体制を構築されます。)

例えば、お客様が店に誰もいなくても、わたしがその店に行けば必ず加担者が集まってきます。

店に誰もいなくても必ず監視の目は店周辺のどこかにあり、またわたしの体にも場所や行動が把握できるように金属やチップが埋め込まれています。

そして店などが特定できれば、ネットワークを通して巡回をしている車両ストーカーに連絡が入ります。

そしてわたしのいる店に集まってきます。
これがいつものパターンで現在でも変わることなく行われています。
(時には、わたしが買い物を済ませて店の出入り口ですれ違うこともよくあります。)

これがいいとか悪いとかの判断は、その加担者にはもうできないでしょう。
ロボットのように言われた通りに動いているだけですからね。

これがこの集団ストーカーの加担している連中の現状です。
わたしの周辺にいる生き物もある意味同じような状態にされています。

わたしの周りの生き物は、ある意味ラジコンのように動かされているように見えます。
言ってみればドローン化されているように思えます。

生きたドローンです。
生きたラジコンです。

これと同じようなことが、この集団ストーカーの加担者にも言えると思います。
なんの疑問も持たずに動いていることでしょう。

これがいいのか悪いのか判断できないことが残念です。
これほどまでに加担者を洗脳し続けています。

洗脳している輩も、自分たちのエゴだけで行っていると思いますね。
この集団ストーカーは、前々から度がすぎると思っていました。
(最近はさらに度が進んでいます。このことから防犯でも何でもないということがわかると思います。ただのエゴです。自分たちの満足のために行っているような感じです。そのために自分たちより弱い人間をターゲットに選んでいます。)

考えても見てください。
一人のターゲットに対して、大勢の集団ストーカーの加担者が追っかけまわしているのですよ。

それに電磁波などによる攻撃も加えてきます。
一人の無力な人間に対して、このような工作を延々と行っています。

あまりにも卑怯で卑劣だと思いませんか?
それを一日中、毎日何十年にも渡って行っているのですよ。

このような行為は宇宙の法則に反していることは明らかです。
これから、このような連中が処罰されるのか?されないのか?

わたしには分かりませが異常だとしか言いようがありません。
相当な自然破壊や環境破壊を行っています。
(それだけでも処罰の対象にしていいと思います。)

それも、ただ単に自分らのエゴのためだけにです。
わたしは以前から、この集団ストーカーは芋づる式に検挙されるようなイメージを持っていました。
(サツマイモの購入や栽培を邪魔されているのもこの内容にあるのかな?なんてね。でも現実的にそうなるかもね。)

これを踏まえて考えると、この鳥取市も浄化の波が押し寄せてもおかしくない現状でもあります。

鳥取市も津波の被害が出ると思います。
津波の被害が出るというよりも、浄化のために海に沈むと思います。

いつまでも、このようなことを続けていればそうなるでしょう。
わたしがいつも言うように、見た目の行動ではありません。

その本人の感情・氣持ちです。
どのような氣持ちで行動によるごまかしをしているのか?

それに尽きるのと思います。
いつかは、なぜこのようなことをしているのか、はっきりと訳を聞かせてもらう日が来ると思います。

この輩は最初から全てが分かっていて、この集団ストーカーを行っています。
これは重大な犯罪です。

この集団ストーカーは戦後の敗戦の中で生まれてきたのかも分かりませんが、それを現在まで続けてきた罪は大きいと思います。

これは戦後の最大のミスリードだと思っています。
勝者が歴史を書き換えるとよく言われています。

正しいとか間違いとか、善だとか悪だとかは関係がなく、
勝てば官軍負ければ賊軍(かてばかんぐんまければぞくぐん)なのです。

これを踏まえた上で戦後の日本そしてこの集団ストーカーを考えていただきたいと思います。

いつまでもそのような考えでいると、大掃除の対象者にされてしまいます。
それでいいと言うのであれば構いませんが、そもそも皆さんの考えとして今までの状況、今までの状態の生活が続くと思っているからこのようなことが平氣で出来るのだと思っています。

ぜひ、もう一歩進んだ視点でこれからの世の中を見ていただきたいですね。
今までの生活に依存しているからできる工作だと思います。

これからも、今までの社会構造が続くのか続かないのかは皆様で考えていただきたいと思います。

このようなことは、わたしから押し付けるように言うことではありません。
自由意志が尊重される社会でなければならないと思っています。

災害で目覚めるのか、お金で目覚めるのか、わたしには判断はできません。
判断はできませんが、どちらも浄化の波であることは確かです。

わたしがこの実家に戻ってくる前からゲサラが始まると言われていました。
ゲサラがどのようなものなのか、知らない方もいらっしゃると思います。

こちらの動画が分かりやすいかと思い掲載させていただきます。

【わかりやすく】NESARA GESARAとは?ネサラゲサラは風の時代にアメリカから始まり、日本人は遂にドレイから開放されるというノンフィクションストーリー進行中

災害で目覚めた人だけがお金を手にすることができるのか?
お金を手にして、それに甘んじてしまい災害で終わりになるのか?

わたしには分かりません。
これは本人だけの問題であり、他人が関わることはできません。
(ましてや、人に言われてなどもっての他です。)

まさに現在は、今までの支配構造を支持しますか、それとも新しい平等の社会を支持しますかという過渡期だと思っています。

この集団ストーカーは支配構造そのものです。
支配構造が悪いと言っているわけではありません。

支配構造がいいというのであれば、そちらに行ってください。
それで何の問題もないはずです。

動画の内容で釣り餌の話がありました。
この釣り餌は、隠れた支配構造に使われる手法だと思っています。

わたしは長年釣りを趣味にしてきましたので、何となくわかります。
釣りの餌には、糸と針が隠されています。
(釣り餌は、針と糸が隠されていることが大前提です。)

釣りをしていた観点から少し考えて見たいと思います。
(これはわたしの考えで参考程度に考えていただけると有難いです。)

小さな若い魚は、我先にとこの釣り餌に群がります。
これが釣り人に敬遠される餌取りの存在です。

大きな魚は、釣り餌を遠巻きにして観察をします。
自然のエサなのか、違和感のあるエサなのか観察をします。

ここに釣り人と魚との化かし合いがあります。
釣り人は、いかに針と糸が見えないようにして自然なエサに思わせるかが釣り人のテクニックだと思います。

ここに支配構造の甘い汁を吸わせるテクニックに似ていると思います。
釣り人の自然なエサに見せる第一の条件としては、真っ先に美味しいエサを見せることですね。
(これと同時に匂いも大切になります。)

これには、潮の流れが重要になります。
まず、魚の目から見て真っ先にエサが見える状態でなければなりません。
(釣り人の位置から魚が潮下、流れる先に魚がいる方がいいです。)

その潮に仕掛けを張り気味にして流してやれば、魚から見て真っ先にエサが目に入ると思います。

魚の目線から、エサ、針、糸が見える順番が一番ベストです。
潮が緩んだり、仕掛けがたるんで糸が先に魚の目に入れば大きな魚はエサを警戒して食べません。

釣り人の話の中に、今日の潮は良かったとか悪かったとか云う話が出てきます。
これは、潮がエサ、針、糸の順番で流してくれている場合はいい潮で魚もよく釣れます。

潮が悪い時は仕掛けがピンと張った状態ではなく、仕掛けがたるんだ状態の時を指します。
こうなれば、その釣り人のテクニックにかかってきます。
(いかにして仕掛けを張り気味にして、先に釣り餌を見せるかです。しかしこの時魚がエサをくわえたとしても引っ張られいるような感覚が魚に伝われば魚はすぐエサを放します。これが魚との駆け引きです。)

ルアーなどは常時引っ張っていますから、あとは魚がいる場所を探すだけです。
だからルアーなどは歩く釣りと言われています。
(キス釣りもそうです。まき餌で魚を集めるか、歩いて魚を探すかの違いです。)

わたしが言いたいのは針のついた甘い汁なのか、針のない自然な正しい甘い汁なのか見極めてほしいですね。

もし空からお金が降ってきたら、あなたはどうしますか?
現実問題としてありえませんが、もしあったと仮定して考えてみてください。

自分の所有している土地だけに降った分だけを拾いますか?
それとも他の土地に降った分まで拾いますか?

たぶん「お金をひろい隊」などのチームが結成されて山などの捜索が始まるのではないでしょうか?
(みなさんは、このお金をひろい隊に参加されますか?)

しかしですね。
山に降ったとしても、山に居る生き物には興味関心がありません。
(ここが人間界と自然界との違いだと思います。)

人間界では一番大事なものになっています。
このお金を稼ぐために、日々努力をし一生を費やしていると言っても過言ではありません。

これからの新しい時代は、これを見直し考える必要があると思います。
釣り餌の代わりに一万円札を針に刺して、海に沈めたとしても魚は一生釣れないと思います。
(面白半分でかじる魚はいくかも知れませんが、釣れません。)

釣れるのは人間の卑しい心だと思います。
(わたしの心が卑しくないと言っているわけではありません。わたしもお金は欲しいです。)

なぜ、このようになっているのでしょうか?
これは、お金と生活が直結しているからにすぎないと思います。
(自然界の生き物が一万円札を食べたとしても、お腹いっぱいになりませんからね。)

これは、ここに人間界の悪知恵というのか利便性の中で作られた仕組みでもあると思います。

言ってみれば紙幣は紙切れです。
その紙切れに価値を与えてあります。

その価値を与えられた紙切れに人間界は翻弄されています。
この価値を与えられた紙切れを獲得するために一生を費やしています。

これは、檻の中で飼育をされている羊と同じです。
そして、檻が壊され自由に外に出ることができたとしても、与えられたものしか受け入れていない人間には何をどのようにしていいのか分からないと思います。

どのようにしていいのか分からない人間は、自由な世界があるのにまた檻の中に戻っていくのではないでしょうか?

まぁ、わたしのようなターゲットにされている人間が言うことではありません。
(カチンときた方がいらっしゃったらご了承ください。ご勘弁ください。)

皆さん一人ひとりが考えていただきたい内容だと思っています。
お金を稼ぐというステップを省いて、もっと近道をしてもいいのかなと思います。

では、