投稿日:2019年8月19日 | 最終更新日:2025年1月8日
この組織的な集団ストーカーの目的は、なんなのか?
ほんとに、ハッキリとしていません。
お金が目的であることは分かっていますが、ただお金のためにここまで出来ますか?
人間とは思えない異常性があります。
(人間のできる範疇を超えていると思います。)
皆さんは、一人の人間に対して何十年にもかけて毎日追い詰めるかのようにして工作ができますか?
本来であれば、この集団ストーカーの答えが見えてきてもおかしくない状況なのですが、一向に答えが見えてきません。
見えてこないばかりか、未だに天候の操作などの工作が毎日行われています。
わたしを異常者に仕立て上げているようですが、わたし以上にこの連中の方がもっともっと異常者に見えて仕方がありません。
まぁ、確かにこれと云ったハッキリとしたものが見えてきません。
見えてきませんが、この連中にとっては必要なもののようです。
(しかし私には、その必要性がいまいちよく分かりません。)
この組織的な集団ストーカーというのは、それとは別に触れては困るような内容が存在しているようですね。
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それは、なんでしょうか?
歴史かな?
しかし、歴史は変える事は出来ません。
捏造で隠し変える事は出来ても、歴史の真実を変える事はできません。
このようなことを、よく言われていますね。
歴史を英語で言うと、history(ヒストリー)です。
このhistoryを、二つに分けると、hisとstoryに分けることができます。
彼とお話、歴史は彼の物語なのですね。
その時の権力者の彼が、好きなように歴史の物語を作る事ができるというか、そのように権力者の都合のいいように書き換えられています。
そんな捏造された歴史を学校で、習っているのですからね。
なんと、無駄なことをしていると思いませんか?
これは、今のこの集団ストーカーにも十分当てはめる事が可能です。
今の権力者って誰なんでしょうか?
この組織的な集団ストーカーを仕切っているのは、誰なんですかね?
この連中は、その捏造に対してこのような集団ストーカー工作をする必要があるのでしょうかね?
する必要性があるから、行なっているのでしょうけどね。
しないといけない理由が、存在するのでしょう。
それが、いまいちハッキリとしません。
ハッキリとしないというようり、この集団ストーカー工作そのものをハッキリとさせてはいけないのかも知れませんね。
うやむやにさせておいたほうが都合がいいのかも、分かりません。
それは、事実を追求されると困るからだと思います。
この集団ストーカー工作の事実を追求されると困ると思います。
それは、事実ではないからです。
事実でない事を、さもあるかのように言いふらしている手前、追求されては困るのだと思います。
絵に描いた餅の味を、追求することは出来ません。
しかし、そのような中でもターゲット側は、どうしても考えてしまいます。
原因が、なんなのか??
・個人的な問題なのか?
・家族の問題なのか?
・先祖の問題なのか?
・民族の問題なのか?
・土地柄の問題なのか?
ハッキリと言わせて頂きますと、たしかに日本には日本籍朝鮮人の方が多くいらっしゃいます。
それを悪いとは言いません。
しかし、中には日本に居ながら日本を悪く言うのはどうかと思います。
だったら、出て行けばと思うのですが?
日本は混血が進み、もうぐちゃぐちゃになっているかも分かりませんね。
特に、西日本はそうだと思います。
日本人と、見分けがつきません。
(ここで、救急車のサイレンがなり始めました。)
全てを監視されパソコンの内容をリアルタイムで見ていて、都合が悪くなるとこのようにサイレンがなり始めます。
なぜ、日本がこのようになったのでしょうか?
そこには人間の考え方が存在すると思います。
会社を例にたとえると、ピラミッドのトップに位置する社長の考え方が浸透するはずです。
(これと同じような考え方だと思います。)
それは、戦前と戦後の日本の情勢に大きく関係しているようです。
それは、特に戦後の日本は裏でアメリカの裏社会と朝鮮によって支配され続けたたからに過ぎないと思います。
支配ということは裏で密かに利益を吸い取られています。
いくら日本人ががんばって働いても、どこかで税金として分からないように吸い取られています。
この連中は、日本人に対して飴と鞭を上手い具合に使い分けて洗脳しています。
それに氣がつかない日本人も悪いといえば悪いのですが、ただ分かったとしてもこの集団ストーカーと同じようにどうすることもできない場合もあります。
(見えない力を信じたいと思います。)
わたしはこのような連中が日本を支配し動かしているように思えます。
そうでなければ、ここまでのこのような工作はできないはずです。
しかし、そのような連中がこのわたしの内容に影響を受けて右往左往しているかのようにして、わたしに風や雨などの工作をしているのはどうかなと思うのですが?
日本はアメリカの支配下統治の時代は、終わっているはずです。
1951年の「サンフランシスコ講和条約」で、日本国としての全権を回復しているはずなのですがなぜでしょうね。
日本はその状態から、なぜ抜け出す事が出来ないのでしょうか?
それは、日本の民族性にあるのでしょうか?
和を重んじる民族性が、邪魔をしているのでしょうか?
のんびりとしていて、人を疑わない性格だからでしょうか?
それは、四方を海に囲まれた島国の特徴なのでしょうか?
それとも、日本の上層部が未だに乗っ取られた状態なのでしょうか?
日本人であれば、争いは好まないと思います。
なるべく、丸く収まるようにしようとしますね。
鏡餅のように、丸く収まるほうがいいですね。
尖ったピラミッド社会で洗脳されるより、まんまるで低くて鏡餅のような社会がいいと思いますが?
これは、私だけの考え方かも分かりませんが?
和があっても、連帯感や一体感はあまり好まないかも知れません。
金太郎飴のように、どこを切ても同じということではなく人それぞれの意思や意見を尊重するというようなね。
その中での「和」です。
全体が良くなるようにしようとしているのですが、連帯感や一体感で成し遂げられるものではないと思います。
なんかね。
お餅を作る時に蒸したバラバラの餅米を杵と臼を使って叩いて叩いて、つなぎ合わせて一つのまん丸いお餅をつくるような感じかな?
意見が違っていても、それをこね合わせて一つの物にすると言うような感じなのかな?
だから、最初から皆同じと言う連帯感ではなしにね。
特に私がそうなのかも知れませんが、全体で同じ方向を向くというのが苦手なのかも知れませんね。
たぶん、利己主義のように見えるかも知れませんね。
利己主義はエゴなのですが、人間が生活をする上で多少のエゴは必要だと思いっています。
エゴがなければ生きていけませんからね。
お腹が空いたので、美味しいものを食べたいというのもエゴだと思っています。
欲求というのがエゴだと思っています。
お金が欲しいなんてこともエゴですからね。
(しかし、このエゴがなければ人間は生きていけません。)
エゴの度合いです。
自分自身が生きるためのエゴなのか、人に迷惑をかけるようば独り占めのエゴなのか?
エゴの度合いだと思っています。
利己主義と利他主義は背中合わせだと思っています。
利己主義と利他主義は誰もが持ち合わせていると思います。
ほんのちょっとした手助けは誰にでもできると思います。
しかし、それ以上になるとその人の器の問題になると思います。
この人間の器を育てるには、利他主義だけで作り上げることができるでしょうか?
利己主義とか利他主義とかの問題とは別に、全体の和と道徳とルールは存在します。
このようなことは国際的な社会全体のルールの中での話だと思います。
なので全体として同じ事をするのは苦手でも、全体の和を乱すような事はしないでしょうね。
これが、日本なのかなとわたしは思います。
(間違っていたら、ごめんなさいね。)
なので隣国のように、みんなで旭日旗を踏んだり引き裂くようなことはわたしには出来ないですね。
例え、その国が嫌いでもそのような行為は出来なですね。
わたしなら、近づかないですね。
なるべくなら避けますね。
これはこの集団ストーカーにも言えます。
(この集団ストーカーに加担している人とは深く関わりたくないというのが本音でしょうね。そりゃー挨拶などの日常的なことはしますよ。)
日本人であれば、丸く収めようとするでしょうね。
それが正しいか間違っているかは、わたしには分かりません。
わたしには分かりませんが、たぶんわたしならそうすると思います。
たぶん、日本人なら丸く収めようとするでしょうね。
きらいだからイヤだからと云って、その人に対して嫌がらせや攻撃するようなことはしないですね。
(その時の状況や自己防衛手段などは別としてです。)
なので、今の状況から言えば何処か違う場所に移動したいのはやまやまなのですが、行く場所も資金もないのが現状です。
また、それ以上に移動できない理由がありますからね。
それは、この集団ストーカーの特徴にあるでしょうね。
今までの経験上から、この集団ストーカーが存在する限りどこに移動しても同じでしょうね。
わたしは影の努力をみられるのが非常にイヤですね。
スポーツ選手にしても優秀な人は、人の見えないところで努力をされているはずです。
それを平氣で見ている人間性に驚きです。
ましてや、それを利用しています。
(どれだけ卑劣な人間性なのかと思ってしまいますね。)
例えば、受験勉強などを他人に見せながら勉強はしたくないはずです。
会社の企業秘密の開発を、ライバル会社に公開しながら開発するなんてことはありえないはずです。
それなりの優れた技術を持っている人は、人に見せたくない努力を積み重ねた時期があると思います。
そのような努力は、人に見せるものではないと思いますし見る側も見るべきではないとわたしは思っています。
それを平氣で見て楽しんでいるこの連中です。
ここにも、奪う民族と奪われる民族の関係性があるのかな?
わたしなんかは、特にそうですね。
そのようなことをしていることを、知られるのがイヤですね。
だから、24時間監視をされ全てを知られるのがほんとにイヤですね。
(わたしでなくても誰でもそうだと思います。)
それともうひとつ、関心がないというのもあるかな?
関心がないというのは、少し語弊があるかもしれないですね。
関心がないといいますか、その人の人間性のあら探しをしたり欠点を探して、あーだこーだというのを特に嫌いますね。
好きな音楽を聞いているほうが、よっぽどいいです。
私にはそのような考え方があります。
人のことをあーだこーだと言っているより、生活の基盤や技術の向上に目を向けるほうがよっぽどいいと思います。
これ、なにかで言ったかな?
人間は、大きく分けて二つに分ける事が出来るかなと?
つくり出す者と、それを奪う者。
アリとキリギリスを例に出して?
たしか、日本ではアリとキリギリスの内容はアリがキリギリスに食べ物を分け与えるような内容になっていると思います。
しかしオリジナルでは、たしかキリギリスに餌を分け与えずキリギリスは寒さの中で飢え死ぬような内容だったと思います。
これ、今の隣国の問題にも言えると思いませんか?
この集団ストーカー工作にも言えると思いませんか?
少し、出しゃばった言い方をさせて頂きますと、
あなたがたがこのような集団ストーカー工作をしていて、この後の生活が楽な生活に向かうと思いますか?
人から奪う事しか考えていないとか?
人を利用して生活をしているとか?
たぶん、この集団ストーカーで金儲けをしていると思いますが、お金があっても物がなくなればどうすることもできません。
今は、物があるからいいけどね。
例えばですよ。
一氣に、日本に核の荒らしが降ってきたらどうしますか?
自然災害でドーンと吹き飛ばされたり一瞬にして焼け野原になってしまったら、お金があってもなんの役にも立たないと思いませんか?
その前に、お金どころじゃなく人間そのものの存在が?
このような状況になれば、つくり出せる人間のほうが生き残れる可能性が十分にあると思いませんか?
自給自足にしても、そうだと思います。
お金より対応能力を育てた方が有利だと思いませんか?
いつになるか分かりませんが、核戦争は起きると思いませんか?
近い将来に???
奪って生活している民族がいる以上、争いは無くならないと思います。
日本は、上下関係をつくり出すようなことはしないです。
ここで言う、上下関係というのはリーダーとかそのような上下関係ではありません。
もっと汚い、奴隷関係の上下関係です。
戦うと言うようなことは、極力避けるでしょう。
しかし、いざとなったら戦うのも日本だと思います。
アメリカと朝鮮は、日本が野蛮で残虐だと思っているようです。
それは、支配するための理由で建前でもあると思います。
これも、この日々の集団ストーカー工作にあてはまると思います。
それは、本当の事を知らないと言う事です。
その人の本当の事を知らないから、好きなように着色されてしまうのだと思います。
なので、わたしを知っている人や建物はほとんどが排除されています。
もし、本当に日本が野蛮で残虐な国であれば産業や技術が成り立っていないと思います。
実際は、まったくそれの逆です。
だいたい、このような場合は言い出しっぺが居てそのようになっている可能性が高いですね。
それが事実だと思います。
日本を変えるには、日本を日本らしくする必要があると思います。
ただそれだけで、いいかも分かりません。
朝鮮の考え方や習慣は、日本には馴染めないと思います。
馴染めないものは馴染ませる必要はないと思います。
(それが個性だと思います。)
そうすれば、日本の成長も加速されると思います。
そしてリーダー的存在も、重要になると思います。
第8話 アメリカ人の本音とは!?【CGS ねずさん】
これは、朝鮮の考え方でもあります。
#1 マックス・フォン・ シュラー・小林 氏 「アメリカ人が語る 日本人に隠しておけない アメリカの“崩壊”」
これから、日本ほよび世界を良くするにはどのようにしたらいいのでしょうか?
人間が求めているものは、生活の基盤だと思います。
人間に必要な、衣食住だと思います。
この衣食住が充実していれば、安心して生活ができます。
しかし、この衣食住を充実させるには現在もまだお金というアイテムが必要になります。
そのお金というアイテムを、まとまった量を手に入れるには労働と言う手段が必要になります。
また、その労働がその人に取って楽しいものでもあればいいのですが、辛い場合もあります。
このことによって、人間は体を害することもあります。
そしてさらに、生活の過程の中で添加物まみれの食品、間違いだらけの医療が存在しています。
このような全体の過程の中で、人間は一喜一憂しながら生活をしています。
はたして、これでいいのかと云うことなのですが?
成長の妨げとなっているのが、利益ではないでしょうか?
一番、邪魔をしているのが利益だと思います。
利益中心の社会を変えない限り、なにも変わらないと思います。
これによってライバル同士の争いが激化していますからね。
(技術云々というより、生き残りになっていると思います。)
利益から、離れる。
イャー、そうしたいですけどね。
今の現実は無理でしょうね。
お金イコール生活を変えなければ?
今の社会はお金があれば何でも買えて、人間関係もいいあんばいに取り持つことができると思います。
しかし、果たしてそれが?
人間にとって幸せなのか?
例えば、こんなことがありませんか?
・名刺から、某有名会社の名称がなくなっただけで、
・部長などの名刺の肩書きが、なくなっただけで、
・お金が、無くなっただけで人間関係が、
お金は人間を支配し、がんじがらめするだけのアイテムです。
技術面で、ある程度の妥協を余儀なくされてもお金のアイテムが優先になります。
少し、創造してみてください。
社会インフラにお金がいらない。
教育・医療・福祉にお金がいらない。
生活にお金がいらない。
このような社会だったら、どうします。
ボケーっと、寝て過ごすって?
いやいや、労働は義務です。
短時間労働ですけどね。
労働は義務です。
(労働と云っても近所の奉仕活動などでもOKな。)
今の社会は、尖ったピラミッド社会です。
ですが現状では、でしたに変わりつつあると思います。
これを、ほんわかとした鏡餅のような形状に変えるには、どうしたらいいのでしょうか?
ここで、邪魔をしているのが利権でしょうね。
利権と名のつくものは、全て妨げになっていると思います。
利権のために、間違った事もしないといけないですからね。
利権と言えば、やっぱり石油利権が一番じゃないでしょうか?
争いまでに、発展しますからね。
この利権も突き詰めていくと、個々の生活に行きつくでしょうね。
(豊かな生活をするにはお金の存在が必要不可欠でしたから、)
なぜ、この地球上ではお金と言う物が存在しているのでしょうかね?
お金がなくても、生活しようと思えば出来ると思うのですが?
社会構造的にも可能だと思います。
可能だけれども、なぜ出来ていないのか?
これを簡単に言ってしまえば、支配構造です。
支配構造を確立するために、下層社会の人間をお金でがんじがらめにされています。
こんな事を、やっているのは人間社会だけですからね。
動物や昆虫社会では、存在しないです。
(宇宙から見ても珍しいでしょうね。)
人間社会には、天使と悪魔が共同生活をしているからかも知れませんね。
悪魔が天使を、制御させるためのアイテムかも知れませんね。
えぇーっ、なに!
地球上には、天使と悪魔がいるの?
うそ、ぴょーん。
地球上のシステムというのは不思議なもので、必ずその一つの場所に裏と表が存在しています。
(例えば、一つの会社の中に善と悪が存在しているといってもいいのではないでしょうか?)
その一つの場所に善と悪が存在し、どのように作用するかが問題になるのではないでしょうか?
ここで不思議と言いますか面白い点は、善と悪も目的が同じだということでしょうね。
目的はお金なのですが、そのお金を稼ぐ過程の違いがあるのだと思います。
正当性のある稼ぎ方なのか、少々の不正を働いてもいいという考え方なのか、その違いだと思います。
まぁ、みんなが一人残らず大金持ちになればいいのですが、それは絶対的にみて不可能です。
(そもそもお金は人間を支配するためのアイテムです。お金の意味がなくなります。)
では、その逆を考えたらどうでしょう?
お金を無くすあるいは減らす方法を考えるには、やはり隠されていた最新のテクノロジーの公開の必要性がでてくると思います。
フリーエネルギーもその一つだと思います。
石油利権のために、隠され続けた沢山のテクノロジーが存在していると思います。
この集団ストーカー工作でも同じ事が言えると思うのですが、この集団ストーカーの撲滅には周知とこの集団ストーカーを企んでいる連中の抑制にあると思います。
あるいは、組織の解体でもいいと思います。
この集団ストーカーも最終的な目的は、お金になると思います。
(そのお金が入らなくなれば、組織の存続も不必要だと思います。)
通信衛星を使って、全世界をメディアジャックしテクノロジーの公開を強制的に行なうのもいいかな?
なんて?
ぶるるる!
とんでもない、とんでもない。
ええ加減で、無責任な考え方かも分かりません。
しかし、これが一番だと思っている考え方は無責任で突拍子もない考えの方がいい場合もあります。
わたしに対するこの集団ストーカー工作の対応は、流れに任せるのが一番んだと思っています。
今までもそうでしたから、これからもそうすると思います。
それが、最良で最善だと思います。
この組織的な集団ストーカー被害を受けていると、あぁ一人になったんだなとよく感じる事がよくあります。
(それは考え方が合わなというのもあると思いますし、それにターゲットと加担者の関係です。)
わたしは、それはそれでいいと思います。
それも、ひとつの流れかなと思っていますし否定も肯定もしません。
それが自然なら、それでいいと思います
この集団ストーカーというのは、台風みたいなものだと思います。
台風の目がターゲットで、その周りを加担者達が取り囲んでいます。
それが、雲です。
その台風の目の周りに、加担者の雲が集まっています。
そして、この加担者はターゲットの目の周りをグルグル回っています。
巡回をしているといってもいいのかな?
ターゲットがどこに行っても、このような状態で加担者も移動します。
そして、最近の台風はその恩恵にあやかろうと、加担者がぶら下がってきます。
ぶら下がりすぎて、雲が尾っぽのようになったりしています。
おいおい、
ぶら下がり過ぎだぞ!
これじゃー、
グルグルまわれねーじゃないか?
なんて???
最近の台風の目は、なんだか崩れていますね。
これも、みんながぶら下がりすぎた結果なのかな?
わたしに対するこの集団ストーカー工作といのは、わたしの行動の阻止が目的になっているような感じもします。
それって、わたしに対しての行動の邪魔をしているだけではないでしょうか?
と、言いたくなります。
これは防犯活動の観点から、わたしの行動の阻止をしているのでしょうか?
では、お聞きしたいですがわたしが何をすると思っているのですか?
ぜひ、お聞かせ願えると嬉しいですね。
不満やストレスを感じさせるような、工作になっています。
監視というよりも人間観察でその人そのものの私生活から、人生を破壊するような工作だと思っています。
これは何かの依頼を受けての工作やハラスメントでもあるように思えます。
この組織的な集団ストーカーというのは、そのように思いますね。
(この集団ストーカーの実働部隊は何かの依頼で活動をしているような氣もしないではないです。誰が依頼主なのでしょうか?)
ここまでの工作をする必要もないと思います。
わたしが家の中の何処にいて何をしているかなど、近隣の加担者が知り把握する必要があるのでしょうか?
隠岐の続きの動画です。
参考までにどうぞ。
夢源樹SP企画 「隠岐」驚天動地大解明ツアー! 飛鳥昭雄×三上丈晴 #5(5/8)
夢源樹SP企画 「隠岐」驚天動地大解明ツアー! 飛鳥昭雄×三上丈晴 #6(6/8)
人間に対してお金は悪だと思います。
しかし、現在においては誰もが絶対に必要なものです。
人の人生は、お金に左右されています。
それが、今の世の中です。
ほんとに、お金は悪魔でもありながら、正義の味方です。
よくコインの裏表と表現しますが、まさにその通りだと思います。
ほんとに、殺伐とした雰囲気ですね。
お金のために、したくない事までしないといけません。
では、この世の中は絶対にお金がないと生活できないのか?
と考えてみると、それはYESでもありNOでもあると思います。
変えることが出来るものもあれば、出来ないものもあると云うのが現状だと思います。
例えば、檻の中で生活をしているのであれば、最低限の檻の中のルールに従う必要があると思います。
そうしないと秩序が守られませんからね。
これはルールを作った側の考え方にもよると思います。
檻の中に人間を閉じ込めている管理人の考え方にもよると思います。
管理人がルールを変えるか、それとも改革のように檻の中の人間が立ち上がるか?
この檻の中の人間の立ち上がりを事前に察知しようというのが、この集団ストーカーの本来の目的かなと思います。
これを平たく世間一般的に考えてみると、企業などの賃上げ闘争などの労使間の問題と同じだと思います。
これは政府と国民に置き換えても分かりやすいと思います。
国民が豊かな生活をするために、古くなったシステムや制度を新しい時代に適応させるための立ち上がる。
このようなことに対して政府がどのように対応するかだと思います。
これに対して政府がYESというのか、NOというのかそれを事前に察知しようとする流れを作っているのが、この集団ストーカーの監視システムだと思っています。
このようなことは両者の考え方次第だと思います。
支配体制を継続させたいのか、どうなのか?
すでに檻は壊されていると思います。
ただ、それに国民が氣が付いているのかいないのか?
誰もが豊かな生活を求めているはずです。
その豊かな生活のためにどのような情報が存在し、どのような情報を信用するかだと思います。
どのような情報を取り込み、何を信じるかだと思います。
それは個々の考え方によると思います。
では、