まず、真っ先に申し上げたいことがあります。
それは、この集団ストーカーの欠点です。
この集団ストーカーには最大の欠点があります。
それは何だと思いますか?
それは絶対がつくほど、これが必要です。
それは『ターゲット』の存在です。
(このターゲットなくしてこの集団ストーカーは成立しません。)
そして、この集団ストーカーはその成立をどのように仕立て上げているのでしょうか?
どっちの可能性が高いのでしょうか?
それは対立なのでしょうか?
それとも差別なのでしょうか?
対立といえば、ライバルのような関係を思い浮かべると思います。
確かに小競り合いをさせるような工作が随所にみられます。
そのために防犯活動に見せかけた付きまといを行っています。
このような行動も小競り合いをさせるための工作、行動だと思っています。
今までの物質社会では、そのようなことが当たり前のようにして行われていました。
どの業種でもそうですし、スポーツ界などもそうでしょうね。
(ライバルに勝つための仕組みだと思います。)
そして、差別についてなのですが?
わたしはこのようなことを当たり前のように幾度となくされてきました。
何々をさせない。
何々を買わせない。
このようなことを当たり前のようにされてきました。
それは、危険人物にされているからでしょうか?
これは、この加担者側の勝手なエゴだと思います。
同じ土俵上に立たせない、上がらせない?
逆を考えれば、そうしなければ同等に戦えない?
争えない?
このような考え方にもなります。
このようなことをどのように捉えるかわ皆さんの勝手ですが、このようなことも言えると思います。
差別だ。
差別だ。
と、訴えていた民族が一番差別を行っていたということもあります。
この集団ストーカーのターゲットはこのような人間だと言っている輩が、実はそのようなことを行っていたということも有りえます。
この集団ストーカーは多岐にわたって行われています。
これっと、一つに限定するのは難しいと思います。
それだけ、ターゲットを最大限に利用しているのだと思います。
なので、対立でもあり差別でもあると思ってます。
その中で、どのようにして利益を発生させるか?
どっちに比重を置いているのか分かりません。
その時の状況に合わせて、天秤にかけていると思います。
この状況なら、こっちの方がいいとかね。
どちらにしろ、この集団ストーカー自体は物質社会の産物だと思っています。
なので、いずれは無くなるものだと思っています。
いつまでも、このような工作にしがみ付いていると、いずれ取り残されてしまうような状況にもなりかねません。
まぁ、わたしのような人間が口にするような内容ではないのですが、これからの世の中の流れから考えてもそのようになってもおかしくはないと思います。
そして、この差別的な行動には、もう一つこれがあるのかなと思います。
それは、日本人に対する「妬み」のようなものがあるのかなと思います。
妬みの中から生まれ出た集団ストーカーかな?
と、思う時もあります。
そして、その妬みも間違った歴史観から生まれているのかなと思います。
これは真実に辿り着けていないということでもあるのかなと思います。
そして、この違いもあるはずです。
それは価値観の違いです。
お金があることが贅沢・豊かさだ!
と、思っているから起きている現象なのかなと思います。
この贅沢・豊かさを日本人から少し分けてもらおうとしているのが、この集団ストーカーの工作なのかも知れないですね。
これがこの集団ストーカーの最大の目的なのかも知れないですね。
やはり、価値観の違いだと思います。
これは、妬みの先に何を見いだしているのか?
それによっても変わってくると思います。
これは贅沢の取り違え?
考え方の違い?
わたしは県外に出ていた時に食べ物に苦労した経験があります。
それはそれでいい経験をしたと思っています。
関西にはよく立ち食いのうどん・そば屋があります。
お金がない時は、そのうどんをよく食べることがありました。
それも何も入っていない素うどんです。
(ネギは入っていたかな?)
人によって贅沢の価値観は違うというのは、このようなことかなと思ったりもします。
例えば、その素うどんの中に、もし卵の一つでも入れると、それはわたしにとって贅沢にもなります。
それは、その人の生活環境と考え方によると思います。
何でもかんでも高級な牛肉を食べないと贅沢ではないというものではないと思いますが?
どうなんでしょうか?
その人の環境で変わって当然だと思います。
お金がたくさんあってそれが豊かさだと思う考えと、わたしの考えは少し相違点があると思います。
本人がどう思うかだと思います。
それが贅沢であれば、それが贅沢になるのだと思います。
わたしはそれでいいと思っています。
何も全てを高級で揃えたから贅沢ということでもないと思います。
まぁ、人それぞれ考えかたは違って当然です。
それは贅沢と違うという考え方の人もいらっしゃると思います。
なので、それはそれでいいと思います。
わたしにはわたしの考え方があります。
わたしの考え方が違うということ自体が間違っていると思います。
同じ考え方を人(他人)に押し付けるものではないと思います。
まぁ、このような考え方であれば誰でも贅沢が味わえると思いますが?
どうなんでしょうか?
確かに今までの世の中は、お金がなければ何もできません。
なのでお金をたくさん稼ごうという考え方に意義はありません。
でも、お金がたくさん持っているから豊かだとか、贅沢ができるという考え方には賛成ができません。
そのような方は、いずれそれが贅沢でなくなる時がきます。
もっと上をというような考えが生まれてくるはずです。
それが繰り返し行われて、天井がなくなる時が来ると思います。
わたしは人生は、V字のようなものだと思います。
人生に限らず、経営なども同じではないでしょうか?
V字を繰り返しながら少しずつ右肩上がりに登っていくものだと思っています。
いいときは、悪くなる時のための準備期間だと思っています。
いいときだからといって、バンバカお金を使っていたら後で後悔をすることにもなりかねません。
いいときは悪くなるための準備をする期間だと思います。
備蓄なども同じ考え方ではないでしょうか?
なるべくいい状態を長期的に維持・継続しようとするのは当然です。
ですが、それでもいいときもあれば悪くなるときも必ずやってきます。
この時にいい時に準備したことが生かされるのではないでしょうか?
そのときの準備期間だと思います。
そして少し落ちた状況になれば、そのときは良くなるときのための準備期間だと言えます。
悪くなればあとは良くなるための改良・改善の期間だと思います。
(ジャンプをするときのしゃがんだ状態だと思えばいいと思います。)
もし、経営で社員を抱えていたら、このようなときに給料が払えない状態になったら大変ですからね。
なのでいい状態の時の準備がこのときに生かされると思います。


