この集団ストーカーは氣付かせる工作を行って、対象者に反感を持たせることが重要になってきます。
そして、わざと反感を仕組んだと思われる加担者と反感を抱いたと思われる対象者との遭遇をいかにも偶然性をもたせて行われ、それに対して周りが危険だと騒ぎ出す。
(救急車のサイレンを鳴らすなどして、これがこの連中の手法です。わたしにしてみれば大笑いですけどね。)
この集団ストーカーは隣国の反日感情の地域版ですね。
これは、対象者に分かるように工作を行って加担者に対して反感を持たせることが目的でもあります。
反感を持たせることで、軋轢(あつれき)と言いますか?
啀み合いをさせることが目的でもあります。
これにより犯罪の架け橋を作ろうとしています。
仕事を増やせば税金の獲得にもつながります。
(警察関係者にとっての仕事です。そしてこの集団ストーカーで経済を動かしているようなところも見受けられます。)
なのでこの集団ストーカーは分かるように工作をしないと意味がありません。
最近、工作がひどくなってきていますね。
この集団ストーカーを仕組んだ輩に発破をかけられたのか?
この連中の置かれている立場がだんだん理解できてきたのかな?
この集団ストーカーはそうとう根が深いようですね。
日本の中枢を揺るがすようなことになりかねないですね。
(それはこの集団ストーカーを仕組んでいる輩の立ち位置や立場上の問題ががありますからね。)
だから全く関係のない何々がしたかのように見せかける必要が出てきます。
それがこの集団ストーカーの欺瞞工作・偽装工作でもあります。
前回の内容でこの場所は一次産業だと申し上げました。
この一次産業で盗んだ情報を二次産業に売るということで、情報をお金に変えていると思うのですが、この二次産業の企業は一次産業で入手された情報がどのようにして得られたものなのかご存じなのでしょうか?
集団ストーカーは嘘でだます欺瞞(ぎまん)です。
お金儲けで一番てっとり早いのは何だと思いますか?
(考えてみてください。)
集団ストーカーは欺瞞に満ち溢れていると思いますね。
それは一番本人がよく知っていますし、わかっています。
(この連中がここまで騒いでいる理由がよくわかりません。)
わたしは危険人物でもなければ、オタクでもありません。
今まで何もしていなければ、これからも何かをしでかすような事はありません。
これは何ですかね?
もしかしたら、わたしに似た人物がわたしの知らないところで悪さをしていたのでしょうかね?
(わたしのためにここまでするとは考えられないのですが、わたしのクローンでも作っていたのでしょうかね?)
この輩は人の目をあざむき、だますことで利益を得ているような感じです。
なので、この集団ストーカーの輩や加担者は日々動き続ける必要があります。
(それは嘘を正当化させるためです。ここで正しいか間違いであるかが読めると思います。嘘を正当化させるためには日々動き続ける必要があります。)
この集団ストーカーに加担している人は、輩の命令によって動くことを決意したロボットのように人間だからこれでいいのだとわたしは思っています。
この集団ストーカーは、ぎまんに満ちた社会だから成立しています。
加担者は、それに溺れた人たちなのかなとも?
野菜の葉を虫に食われたりする社会が、これからのこの連中の社会だと思います。
この連中はこの集団ストーカーに加担することで人工的に良くされているだけす。
その繋がっていた糸が切れたら、どこを飛んでいるのか分からなくなりいずれは地に落ちます。
この集団ストーカーというのは、全国的に見て半島出身の方が多く加担しているように思われます。
日本人に依存しないと生活できない環境下に置かれているのかなと少し考えてしまいますね。
(隣国が反日で表向き日本を排除していますが、しかし現実は日本がなければ成り立たないのと同じような感じにも思えますが違うのでしょうか?)
わたしにもそれはハッキリ分かりませんが、なんとなくそんな感じがします。
表向きの立場上それを何かでごまかす必要があるのかなと思ったりします。
わたしが不思議に思うのは、自分たちで考えたり調べたりしないのかなと思ってしまいますね。
自分の考え、信念を持つことを嫌うのかな?
自分で考えたり調べたりするより、人から盗んだほうが手っ取り早い場合もあります。
この考え方は半島の考え方なのでしょうか?
技術を盗むということは、それを継続させるためには盗み続けなければそれを継続できないと思いませんか?
それと同じで、この集団ストーカーも情報を盗んで生活をしているのであれば、その情報を盗み続けなければその生活水準を維持できないと思います。
集団ストーカービジネスをやめて、他の仕事をしますか?
他の仕事をして集団ストーカービジネスをしていた時の生活水準を維持できればいいのですが、現在の今までの日本では難しいかも知れません。
それに年が年であれば、それは顕著に現れてくると思います。
盗んだものは、いずれ歯車が合わなくなります。
技術は継続の中で生まれます。
盗んだ技術では対応ができなくなります。
トラブルなどの対応ができなくなります。
裏庭に父親が植えていた鉢がありました。
わたしは、この木は柊の仲間の木だと思っていました。
いつまでも鉢のままではと思い鉢から地植えに変えてあげました。
そして地植えに変えたら、この木ものびのびと大きくなりました。
(剪定が必要なくらい伸びています。)
それで今年、その木をじっくり見ていたらあることに氣がつきました。
なんと、実がなっていました。
それがなんと、グミの形をしていました。
イャー、驚きました。
この木はグミの木だったということが分かりました。
嬉しかったですね。
グミの木は、わたしが小学生の時から裏庭にあり、毎年たくさんの実をつけて実がなっているときは毎日のように食べていました。
今では随分と環境が変わっていますが、少しでも昔の状態に戻したいというのがわたしの頭の中にあります。
それで今年はグミの実が食べれると思っていたら、次か次の朝だったかな?
この連中に全部取られてしましました。
一つも残っていない状態です。
取られたものはどうしようもありません。
元に戻りません。
なので来年に期待をしたいと思います。
(グミの木だということがわかっただけで満足です。)
この連中の工作の本性が見えてきたかなという感じですね。
わたしの行っていることや行おうとしていることの阻止と言いますか邪魔をすることがこの連中の工作になっています。
5月20日の月曜日に買い物に行ってきました。
もう少し早く、行こうと思っていたのですが、足の小指を打撲で痛めて移動が困難な状態だったので見送っていました。
(靴とかスリッパとか小指に当たる履物を履くと痛みを伴います。)
実際現在も痛みますね。
そうですね。
もう、3週間以上になりますかね。
それで、当たり障りのない歩き方で買い物に行ってきました。
わたしの生活はいつもこんなもんなので、そこまで氣もしていません。
(治る時は治ると思いますよ。)
ここで突然ですが、シャツの話をさせてください。
わたしは4月15日に鳥取市の宇倍神社に連れて行ってもらいました。
参拝のために宇倍神社に連れて行ってもらいました。
そしてそのあとに、買い物に連れていって貰ったのですが、その時に着ていたシャツを今回の買い物にも着て行こうと思って探すけど見つかりません。
確かそのシャツは、4月17日に洗濯をしていたはずです。
その洗濯物が乾いて、その乾いてからの記憶がプッツリとありません。
(記憶がないというのも、たぶん乾いてからの覚えがないのだと思います。結構な日数部屋干しにしている場合もあります。)
なので、シャツは盗まれたと思って間違いないようです。
わたしは4月22日に買い物に出かけています。
自宅に侵入してくるときは、この買い物に出かけている時が多いです。
どこの誰がどのように侵入してきているのか分かりません。
(分かっていればその方法は行わないでしょう。この連中はその方法がバレたり人物が特定されると、それは行わなくなります。)
家の鍵はすでに入手しているはずです。
よくあるでしょう。
鍵がどこに置いたのか分からなくなったとか、そして数日したら別のところから出てきたとか、それは合鍵を作られていますし、本人が合鍵を店で作ればその合鍵のコピーを作られているはずです。
(もしそれが賃貸であれば大家さんが協力している場合もあります。)
そして、5月20日の買い物に出かける時にシャツが無いことに氣がつきました。
これは以前にも申し上げたことがありますが、この連中は定期的に自宅に侵入する必要があるようです。
それは自宅に取り付けられているセンサーなどの電源の交換があると思います。
この連中は、わたしが自宅のどこに居るかなどそのセンサーで把握していると思います。
例をあげれば、自宅のどこかを通れば自宅前を車が走り抜けるなど分かるようになっています。
何十年も前から行われていたことは、トイレに入ればよく救急車のサイレンがなっていました。
(このようなことはセンサーが必要だと思いますが、この電源の交換をごまかすために他の悪さをしていると思われます。)
そして、自宅の場所によって加担者の担当が違っています。
わたしが自宅のどこにいるかで担当を変えているようです。
台所に入れば、近隣のどこが担当とか。
部屋に入れば、どこが担当とか。
(まぁ、答えは簡単です。一番近い加担者宅が担当になります。)
そして、この部屋から台所に移動する間に、結構車が自宅前を走り抜けていきます。
この5月20日の買い物は、二箇所の店に買い物に行きました。
この買い物に行く際にシャツを盗まれたことを随分と愚痴って出かけました。
そして一回目に買い物が終わり一旦自宅に戻り荷物を置いて、また次の店に出かけました。
二回目の買い物が終わり自宅に戻ってあることに氣がつきました。
最初に買い物に行った店のレシートがありません。
レシートが見つからなかったですね。
レシートはいつもバックの中に入れて帰っています。
この時は、仏壇のそばのテーブルにレシートを置いて次の買い物に出かけたはずです。
そのレシートが見つかりません。
わたしはレシートを捨てることはありません。
絶対にどこかに入れて持ち帰ります。
なので、バックにれていなかったとしても、どこからかレシートが出てくるはずです。
これはテーブルに置いていたレシートを盗まれたとしか言いようがないですね。
二回目の買い物の時に侵入されて盗まれたと思います。
買い物に出かける時に、相当愚痴ったのでそれの腹いせのようにして盗んだのだと思いますよ。
(その場所を特定して愚痴ったのでそれに対してのお返しのようなものだと思っています。)
まぁ、この連中はこんなもんです。
我慢できなと言いますか、それに対してのお返しのようなことをしなければ支給される金額などに影響するのかも知れないですね。
(わたしはレシートや領収書はある一定期間手元に置いておくようにしています。)
洗濯の内容をお話したのでここでもう一つ付け加えさせてください。
わたしにされていた工作はきりがありません。
(山ほどあります。)
その中でこのような工作もあります。
現在でこそわたしが買い物に出かけていますが、母親が健在の時は買い物に行ってもらっていました。
一週間分を買ってきてもらっていました。
その中に洗濯用の洗剤も買ってきてもらっていました。
わたしは粉洗剤の方が良かったのですが、だんだんと入手できなくなり液体の洗剤に変えるようになりました。
まぁ大手のメーカーです。
(野生動物の名前が付いています。)
粉洗剤の時でも、下着などは手洗いをしていました。
この手洗いをしていると、手にですね。
滑りのようなものが付いて、取れない時がありました。
そのままの状態だと他の用事の際に掴んだものが滑りやすくなり、食器などが滑りやすくなるような状態です。
(なので一時期はコンクリートに手を擦りつけて、その滑りを取っていました。)
そして冬に着るシャツなどは、服の温もりが失われるようなシャツに変えられてしまいますね。
そのように変えられたシャツを着ると、体の温もりを奪い取られて寒くなるような服に変えられてしまいます。
(変な話ですが、逆に裸や薄着の場合が暖かい場合もありました。まぁそのようなことはしませんが、冬に着る服と夏に着る服を逆にすれば釣り合いが取れるような。)
これなども洗剤に仕掛けが施されていたと思っています。
洗剤の匂いも相当なものがありますね。
(この匂いも工作です。)
なので、その洗剤で洗濯をすればするほど、温かさを失ってしまう服になってしまっていました。
わたしは冬は寒く、夏は暑い工作をされています。
わたしはこのような工作を長年にわたって行われています。
(このような内容はほんの一部です。)
なので、その工作の環境に合うようにシャツや服なども変えられ、氣候や天候も変えられていました。
(この連中の工作に合わないものはボロボロにされていました。)
現在でもそうでしょう。
わたしのこのブログの更新で、天候に変化があるでしょう。
(風は毎日のように吹いていますしね。この工作に町中や企業が加担しています。とんでもない状況になっています。)
最近はこのシャツを多用していたことも盗まれる要因になっていたのかも知れないですね。
この世の中と言いますか、日本はこの青と赤で今も水面下で現在ももめているような感じを受けますね。
(細かく分ければ他の色もあるでしょうが、)
出雲族と大和族ですね。
企業や店などもどっちの色を多用しているかで判断ができると思います。
この鳥取は出雲のお隣の県なので青が優勢なのかと思っていたらそうでもないよですね。
わたしはハッキリ言ってどちらにも属さない人間だと思っています。
それまでは、青色の服を多用していました。
それは、単に青色が好きというだけで、青とか赤を考えていたわけではありません。
空の色、海の色が好きだっただけです。
なので、最近は青系統の色を避けるようにしていますし、赤色は男性としたら着にくい色ですね。
(誰でも年とともに好みは変化するはずですが、)
なので、どちらにも属さない色を着るようにしていましたが、そのシャツを盗まれてしまいました。
(ベージュ色のシャツでした。青いシャツもあるのでこれからも着ると思いますが、そのような意味で着ているシャツではないことを理解していただきたいですね。)
まぁ、そもそも出雲族は海から日本を目指した民族ですからね。
わたしが少し疑問に思っていることは、なぜ海から日本を目指して来ているのに、なぜ半島を経由して日本に来たのかと少し疑問になります。
海から来れば九州に上陸すると思うのですが、なぜ陸路から来た大和族が先に九州に入ったのかちょっとばかし疑問に思うところですね。
それで半島から出雲の地に入ってきたので出雲族と言われるようになったそうですが、まぁその後は神話の内容で皆さんもよくご存知だと思います。
この連中は、結果だけを求める人間だなと思っています。
それは、わたしが釣りを趣味としていた時からなんとなく分かっていました。
それが現在でも分かりますね。
野菜に悪さをしたり、葉っぱをちぎったり、虫や鳥・小動物を使ってそのものを悪くさせよとしています。
(種そのものに悪さをしている場合もありますからね。)
そのものの結果を得られないようにしようとしているのが、ありありと見受けられますし分かります。
世の中は結果ばかりが大切なわけではないと思っています。
過程や行程が大切な場合もあります。
わたしはどちらかというと結果よりも過程を重要視する方ですね。
それは、結果よりも過程の方が楽しいと思っています。
そう思いませんか?
過程を大事に大切にしなければ進歩や発展はありませんからね。
例えば、技術なども盗めば結果は得られるでしょうけどね。
そのあとの進展はどうしますか?
盗み続けますか?
釣りでもなんでもかんでも釣れたらいいという考えでは、釣りを楽しんでいるということにはならないと思います。
人の撒いた撒き餌さでも釣れたらいいということでは、その撒き餌さを撒く人のそばにいなけれ釣れないということになりませんか?
わたしの現在の状況でも同じでしょう。
反則をしてでも、ルールを破ってでも勝てたらいいと云うのであれば先が続かないと思いませんか?
人間には、それなりの秩序があるはずです。
それなりのルールといったようなものです。
人間界はそれが失われているような感じもします。
群れているからその群れが間違いということではありません。
自然界はそれなりのルールに基づいて動いています。
人間界は卑怯という行動がまかり通っているのかも分かりません。
弱い人間が利益を得るための手段なのかな知れませんが?
全ては利益の奪い合い、国同士でも?
その仕組みが出来上がっているのかな?
じゃー、弱い人間が利益を得るためにはどうすればいいのでしょうか?
大勢の人間が集まってコツコツと働くしかないのかな?
アリとカメムシを考えてみました。
アリとカメムシに分けて餌を与えていると、いずれ境界線がなくなってきます。
カメムシに餌を与えなくすると、アリの砂糖水にたかるようになります。
それは生きるためにしょうがないのかも知れません。
しかし、人間界には理性もルールも存在していますし理解もできているはずです。
道徳心も理性も何もこの集団ストーカーには存在しないのかな?
自然界の生き物が生きるための行動のように思えます。
人間は地球の頂点で、他の生き物の面倒を見る役目があるような氣もしないではないです。
ルールを決めていなくても暗黙の了解のようなものが存在しているはずです。
自然とルールを守るような機能といますか知識が備わっていると思います。
この集団ストーカーの一人ひとりの能力はどうなんでしょうか?
知りたくもなったりしますね。
群れるか?
群れないか?
自然界が教えてくれているような氣がします。
では、