ふたり組と出血の関係はなんなのか?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

午前5時20分位前より、台所で水の垂れ流し音がジャバジャバと聞こえていました。

その音で目が覚めましたが、疲れているのかまた寝てしまいました。

午前6時47分頃に目が覚めると同時にタイミングよく、車のエンジンを掛ける音がしていました。

以前はよくされていた行為で、寝ていてパッと目を覚ましたと同時に何かの音を出していることが多かったです。

これはどのような事なのでしょうか?

目を開けたのが分かるのか、それとも目を覚ました時の脳波を読まれているのか、疑問です。
(現在2022年は、目から映像が伝わっていると認識しています。)

午前7時8分頃、ガラガラとベランダに出る戸を開ける音がして、11分頃にもガラガラ、ガラガラトンと音がしていました。

午前7時16分頃に、私の考えに対してカラスが鳴き始めました。

午前7時25分頃、2階のベランダでゴトゴトと物音を出し始めたと同時に車のエンジンを掛ける音がしていました。

この車は部屋のすぐそばと言う事もあり、エンジンを掛けてから発進するまで時間をかけているようです。

たっぷりエンジン音を私に聞かせてから発進されています。

午前7時28分頃、今日の天気はどうかなと外を見た時に急に広報車の声が始まりました。

午前7時30分頃に台所より排水音が始まり、31分頃にガラガラと戸を開ける音が始まっていました。

午前8時3分頃、これも私の考えに対しての反応ですが、隣の保育園で子供の泣き声が始まっていました。

私は泣かせ上手な保育園と言っています。

最近は午前中から体に感じる振動が始まっています。

頭、喉から胸、腹の辺りに一本の線が通っているような、ジィーンとした振動の様なものを感じています。

時々、グラグラとなるような振動も体に感じています。

これを受けると、照射されると咳き込むこもあります。

釣りをしていた時の出来事だが、これだけは話しておきたいですね。
あまり綺麗な話ではないので控えて頂いてもいいです。

釣り場の駐車場に着き準備を済ませ、肩にはバッグ両手にはクーラーと竿ケースを持ち歩き始めると、後ろから2人組の男性が付いてきました。

一応、釣りをする格好をしていますが、私にはあいつらだなとすぐ分かりました。

ここから釣り場まで15分位かかります。
私は、荷物が多いので普通の人よりは歩くのが遅いです。

それでも、わたしを追い抜く事もなく後ろを付いて来ています。

長い石段を降り岩場を歩いていると、突然背負っているバッグが肩にくい込み痛みを感じる様になりました。

体も苦しくなってきたので、立ち止まりバッグを降ろして休憩をしました。

何故この様になったのか訳が分かりませんが、とにかく立ち止まって落ち着くまで休憩をする事にしました。

それでも後ろの2人組は、わたしを追い抜く事はしなかったです。
それに、わたしは2人組が何をしているのか、振り返って確認をしようともしませんでした。
(これは、わたしの性格なのかも?そこまで他人のことを氣にしないし、他人は他人です。人のことをあーだこーだと云う人間ではないのかも?)

釣り場まで後少しです。
体も落ち着いて来たのでバッグを背負い歩き始めました。

しかし、バッグが肩にくい込むように痛いです。
バッグを手で支えながらゆっくりと歩きましたが、我慢出来ない程体がえらくなりバッグを降ろし岩に座り込んで休憩をしました。
(長年釣りをしていますが、このようなことは一度もありませんでした。)

すると、やっと2人組がやって来てわたしを追い抜いて行きました。

その後、2人組はどうなったか見る余裕もないし憶えていません。

釣りをしたのか、そのまま帰ったのかわたしには分かりません。

私は体の事で一杯でした。

休憩をしていると急に便意をもよおしてきました。
これはもしかしてと思いましたが、やはりそのようでした。

そうです血便がでました。

胃から出血している思われます。
貧血状態です。

そして、また岩場に座り持って来たスポーツドリンクを少しずつ飲みながら回
復するのを待ちました。
(このとき、サプリメントも飲んでいます。2粒もってきたうちの1粒を飲んでいます。それはルテイン成分の入っているサプリメントです。)

そして、2回目の便意をもよおしまた。
やはり、おなじ血便がでました。

釣りどころの状態ではなくなり、自宅に帰る事しか頭になくなりました。

ちょっと動いただけでも、動悸がして動けなくなりました。

極力荷物を軽くする為に、氷・水・餌を捨てたように憶えていますが、何を捨てたかはっきり憶えていません。

1、2、3、4、5、6歩あるくと動悸がして動けなくなりました。
動悸が治まるまでしばらく立ち止まって休み、動悸が治まるとまた6歩程あるきました。

そして、動悸がおさまるまで休みを繰り返し、やっと車のところまでたどり着きました。

そして、車に乗り込む元気もなく、車のそばにもへたり込んでしまいました。

どれくらいの時間へたり込んでいたか分かりません。
分かりませんが、体も落ち着きやっと車に乗り込むことができました。

車に乗れば、動かすのは腕と足だけで体に負担は掛かりません。
なので、動悸がすることもなく自宅へ帰ることができました。

そして自宅に帰り、常備しておいた薬を飲み休みました。
そして明くる日の一番に医者に行き血液検査をしてもらいました。

すると、かなりの出血をしていて貧血も相当ひどかったようです。
(あまりの貧血で、先生もビックリされていたようです。)

その時携帯電話で助けを呼べばよかったのですが、その時は自宅に帰る事しか頭になく、携帯電話の事も一切頭になかったです。

それから毎日点滴の日々が続きました。

あの2人組は、私に一体何をしたのだろうか?
それとも、これは偶然出血したのだろうか・・・?
(もし、今2022年に思えば、あの二人組は某宗教団体の人間か?)

そして、この行き着けの主治医の先生は、わたしの治療を終えた後に、風をこじらせて肺炎になり亡くなっています。

それは、数年前の話しです。
今回の出血と貧血の件で、疑問なことあります。

それは、ある程度体もよくなり、レントゲンを取りました。
しかしですね。

通常、出血すれば傷跡のような箇所が残るはずです。
そのような箇所が見つかるはずです。

しかし、レントゲンではその傷跡が見つからなかったのです。
では、どこから出血をしたのか?

それを、先生は首を傾げておられました。
まぁ、結局結論として胃全体から絞り出すように出血したのではと云うことになりました。

そして、先生はかぜをこじらせて肺炎でなくなりました。
病院もなくなり、カルテも存在していないでしょう。
(先生も亡くなり、医院も存在していないのである程度の名前を公表してもいいのかも?医院の名前は山崎内科です。健康ランドの前ある。山崎のさきはこっちだったかも山﨑内科。住所で云えば鳥取市立川6丁目です。)

このことで、私は別の医院に行くことになりました。
(ここで歯のことで入院をすることになるのですがね。)

現在は養護施設になっているはずです。

では、

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

スポンサーリンク

コメントを残す

*