日々の出来事 決まっていたのかも知れない? No.2

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今回も、普段、めったに飲まないココアを、前の日に飲んでいます。

これで、このようになったのは、普段飲まないココアを飲んだからだと、思うでしょう。

実際は、きつい電磁波の照射による、体のダメージなのですが、電磁波の照射に気がついていない方、あるいは、この被害を受けていると認識していない方は、そう思うでしょう。

こういう族が鳥取市にはウヨウヨ、ウロウロいます。

このような内容だったら、美味しさ満点で、本当の理由など、わたしに言える訳ないですね。

すでに、決まっていたのかも知れない。
わたしの経歴を、少し話しておきます。

わたしは、現在60歳です。
(2023年で66歳になっています。)

前回の内容は、
 ↓
日々の出来事 一晩中泣きながら出ない出せない? No.1
https://hibi-dekigoto.com/2017/06/25/hibi-dekigoto/2995/

鳥取農業高等学校、食品製造課を卒業し、その際次をどうするか考えましたが、手に職をつけた方が、いいと言う考えは前々からありました。

そこで、しぼられたのが、調理の道にすすむか、デザインの道にすすむかです。

ここで、馬鹿な発想を思い浮かべてしまったのですね。

デザインの世界はどんなものか、デザインの世界を、かいま見たい。

あほ!
本当に馬鹿です。

今思えば、調理の道に進んでいれば、良かったと思っています。

調理だと、辻調理師学校、デザインだと、大阪デザイナー学院。

いゃー、デザインになってしまったのです。

学校は堂島にあり、寮生活で寮は天神橋筋6丁目にありました。

学校の勉強もせず、パチンコ(当時は手打ち)ばかりしていました。

現在はパチンコは、一切しておらず、今のパチンコはギャンブル性があり、どちらかと言えば反対派です。

こんなんですので、進級試験に受かるはずもなく、そのまま退学(中退)をしました。

寮におれないので、引っ越した場所が阪急沿線の豊中の庄内です。

この庄内に初めて行ったとき、いゃー、思わず見上げてしまいました。

ゴォーーッ!

一瞬、全ての音が消し去られてしまいます。
石を投げたら、当たりそうなくらい、近くに感じられます。

もう、飛行機の腹が、丸見えです。
これも、なれなんですね。

見上げるか、見上げないかで、初めて、この場所に来たかどうかが分かるのでしょうね。

夜9時までだそうなので、まぁ、とりあえずは・・・
この場所のアパートで、風呂なしトイレは共同の、4畳半一間です。

なんとも、目出たい名前のアパートで、なんと名前が、鶴亀荘です。

さて、これからどーしよーかなーと、言う感じなのですが、とりあえずは、バイトをしながら仕事さがしです。

情報紙をみながら、やっと見つかったのが、上新庄にある現像所のバイトです。

夕方近くから夜10時頃までです。
夜になると、まぁ色々な写真が・・・、写真を売って、お小遣い稼ぎなのでしょうか?

このバイトで嬉しかったのは、食券があり夜7時頃になると、食堂で丼物が食べられたのです。

いゃー、もう、かぶり付きです。

それまでは、一日一食か二食で、それも白いご飯に、袋面のインスタントラーメンを乗せて、ご飯をたべていました。

ご飯のおかずが、インスタントラーメンです。

アパート近くのダイエー(その当時はあった)で、10キロの一番安い米を買い、それをちびちびと消費していました。

近所では、ほとんど下駄履きですごしていました。
値段も安いし履きだすと、これがまた手軽で結構楽なんです。

この頃から体重は46、47キロぐらいが、わたしの平均体重でした。
(2023年現在は49キロ前後です。ベジタリアンと少食に勤めているからかな?)

そして、よく言われていました。
ドイツのヘルメットのような髪型に、きゃしゃな体。

後ろから見たら、男女の区別がつかなかったようです。
バイトが、3ヶ月間がすぎたころ、良さそうな仕事が見つかりました。

このデザインで感じたことは、学校で習った事は仕事に結びつかない面もあると思っていました。

なら、実際に現場で見習いとして教わった方が、実践的だと思っていました。

グラフィックは無理でも、テキスタイルの見習いとして面接を受けました。

条件は、こうこう、こうで、これでよければ、いいよということで、それをお受けしました。

一年間、見習いで月手取り5万円です。
この5万円の中から、家賃と通勤の電車賃も、出さないといけません。

ますます、貧乏な生活の始まりです。
テキスタイルとは、服地の柄のデザインです。

女性物は、ほんとうにシビアです。

それに変わり、男性物は、ええ加減といったら不平があるかも知れませんが、それくらい気は使いません。

色にしても、女性用で作り置きしておいたパレットの色を組み合わせて、作ることもあります。

わざわざ、色を作ったりしないことが多いです。

まぁ、確かに男性がシャツを買うときに、めちゃくちゃ極端なものは別として、色がどうとか柄がどうとか、あまり気にしませんからね。

服地は、ぱっと見の色合いです。
柄は、色をのせるための形です。

それを、紙に表現します。
それを、毎日、朝から晩まで書き続けます。

いろんなデザインを考えなければ、ならないのですが人間のイメージにも限界があります。

先方から、こんなイメージでとか、春物はこんな感じでとかありますが、限界があります。

この今わたしが受けているこの工作も、同じような事が言えます。
わたしは、この工作により、色々と情報を盗まれています。

この輩も情報の限界があり、他人から情報を盗んでいます。
人間の考えには、限界があります。
(間違っているかも知れませんが、わたしはそう思っています。)

それを、回避するものが資料です。
いかに、いろんな資料をもっているかでしょうね。

いかに、ストックが多いかでしょうね。
そして、わたしが次に引っ越しした場所が、陸の孤島の此花区です。

ここを最後に地元に戻ってきました。
デザインの世界を多少なりとも、かいま見れました。

滅多に経験できない、人生の寄り道だったのかも分かりません。
そして、地元に戻って、またどうするかです。

当然、地元にテキスタイルなどの仕事は、ありませんからね。
それで、頭の片隅に眠っていたものが、蘇ってきました。

寮生活をしているとき、食堂のそばを通ったとき聞こえてきた、この言葉が・・・。

写植(写真植字)は、儲かる。
なになに、耳がダンボになりました。

写植は、儲かる????
この言葉が、蘇ってきました。
(これも今思えば、工作だったのかも分かりませんが、)

そして、職業安定所で仕事を探していると、1件ありました。
面接を受け採用になり、今度は写植との付き合いです。
(現在はハローワークになっていますが、その時は職業安定所でした。)

この写植は、憶えるのが大変でしたね。
漢字を探すのに、あるルールがありました。

それを覚えるのが、少し大変でしたね。
風呂に入り、湯船の中でも反復していました。

漢字が読めないわたしには大変でしたが、幸いな事に部首検索でしたので、部首の場所を憶えておけば後は、なれです。

この会社が、鳥●印刷です。
鳥取市の叶(かのう)にありましたが、今は移転をしています。
(2023年現在、会社はどうなっているのか分かりません。)

次に入った会社が、鳥取●版社です。
この会社で、問題が起きました。

最初は一般もののチラシ関係の制作をしていましたが、途中から鳥取三洋電機の取扱説明書の担当に代わりました。

この頃から、写植からパソコンへの移行が、少しずつ始まりました。
鳥取三洋電機さんには、恩義がありましたから、願っても無いことでした。

わたしが中学の頃の話になりますが、私はどちらかと言うと、意志が弱く、人に流されやすい性格でした。

そのこともあり、あるとき学校の帰り、川沿いを歩いていると、わたし自身がそう思ったのか、何かが聞こえてそう思ったのか、よく分かりませんが、もっと意志を強くした方がいいと、そのとき思いました。

意志を強くしなさい。
と、言われたのか?

その当時の細かなところは覚えていません。
覚えていないのですが、とにかく意志を強くしないといけないのだなと思いました。

では、どのような事をすればいいかと、考えたら、やはり武道が一番いいのではないかと思いました。

じゃー、どの武道にするか迷いました。
柔道は、これ以上脚が短くなるのは嫌でしたから、空手、少林寺のどちらかかなと思いました。
(2023年の現在は、合気道を教わってみたいなという氣持ちがありますが・・・?)

そして、鳥取市の武道館に出向いて、空手道はないかお伺いしました。

しかし空手はなく、少林寺拳法はありましたが、一時間くらい禅をくむそうなので、これもあきらめました。

柔道をすすめられましたが、丁重にお断りしました。

そうこうしていると、誰かは忘れましたけど、たしか同級生から鳥取三洋電機さんに空手部があると聞き、こんな中学生でも入部できるのかどうか分かりませんが、とりあえず行ってみる事にしました。

守衛室で事情を説明し、師範代の方に連絡を取っていただくことができました。

そして、今はまだ仕事中なので、再度、5時以降の練習日に来るように言われました。

見学させてもらう事が出来るようでした。
この辺りは少し、記憶があやふやです。

違っているかもしれません。
再度の見学で、入部が許可されました。

本当に感謝です。
こんな中学生が鳥取三洋電機内の空手部に入部が許可されました。

本当に感謝しかありません。
空手の流派は剛柔流です。

こんな中学生を、大企業の空手部に入部させて頂き、大変感謝しております。

この入部で武道の精神を徹底的に叩き込まれました。
「礼に始まり、礼に終わる」などは武道の基本中の基本です。

高校入試で途中で止めてしまいましたが、続けていれば良かったと、今では後悔しています。

入試の勉強なんて、ぜんぜんしてません、でしたから・・・、
このこともあり、鳥取三洋電機さんには、恩義があります。

鳥取三洋電機さんの取扱説明書の担当に変わったのも、何かの縁だと思っています。

そしてそれから、鳥取●版社に入社して、12年程たったときに、鳥取三洋電機担当の営業部長から、こんな話を持ちかけられました。

営業部長が、今の会社をやめて、新しく会社を立ち上げるので、一緒に来ないかと言う話の内容でした。

悩みましたね。
本当に悩みました。

鳥取市の堀越と言う場所に、有名な占いの方が、いらっしゃると云うことは前々から知っていました

知っていましたので、相談をしてみようかと考えました。
そして相談をする事にしました。

そして相談に行き、事情を説明するとこのようにおっしゃいました。
その方は、辞めるなとハッキリとおっしゃいました。

しかし、営業部長も困ったように、言われていたことも伝えると、どうしても辞めると言うなら仕方がないけど、いいようにはならんと、これもまたはっきりとおっしゃいました。

まぁ、2023年の現在がこのようなありさまですから、おっしゃられた通りでした。

そして、会社を辞め営業部長の下で働く事になりました。
やはり、言われた通り上手くいかず、わたしは営業部長から離れる事になりました。

このときから、わたしの定時は午後九時頃があたりまえでした。
まぁ、会社づとめのときから鳥取三洋電機さんの担当に変わってから、こんなもんでしたけど。
(しかし、それがわたしには何の苦でもなかったです。)

そして、毎週木曜日は徹夜です。
求人情報紙の仕事もしていましたので、その編集のためです。

その編集が出来上がるのが、大体金曜日の明け方です。
もっと早い時もありましたが、明け方が多かったです。

それを、プリントアウトし求人情報紙を発行されている事務所のポストに入れて自宅に帰ります。

そして自宅に帰り、1時間程仮眠をとって軽くシャワーと朝食をとって、仕事に向かいます。

そして、午前10時前後から、修正のファックスが入ってきます。
これを昼までに、完全に仕上げて、データを昼一に渡します。

これが、毎週日曜日の朝刊に入っていた求人情報紙です。
(これは、その当時の話になります。2023年現在はもっと多くの情報紙が存在しています。)

ここの方は、そのデータを出雲で印刷されていたようです。
データを昼一に渡し、その足で出雲に走り、4色輪転機で、一気に刷り上げていたようです。

この営業部長の下で働く時点で、年金は厚生年金から国民年金になりました。

そして、夕食は毎回自宅から持ってきてもらっていました。
会社を立ち上げて間もないと言うこともあり、わたしの負担も多くなっていました。

これだけではないのですが、今思えばこの頃から集団ストーカーと言えるような工作めいた出来事が見え始めていました。

今までもそのような工作はあったと思いますが、それは水面下に隠されていたと思います。

しかし、その頃から表面に見えてきていました。
これは、現在思い出してみればということで、その頃は集団ストーカーという言葉も知りませんでした。

それで、わたしは営業部長から離れる事にしました。
でも、ですね。

この時点で、もう会社勤めは出来ないなと思いました。
結局、わたしも自営を始めることになりました。

そして、今まで仕事でお世話になっていた方に、相談し仕事を頂ける事になりました。

まったく、初めての経験で初めての仕事です。
今まで、鳥取三洋電機さんの仕事は、リビングが主でしたが、こんどは無線、通信関係の仕事です。

事務所は、求人情報紙でお世話になっていた方が、一緒にどうですかと言うお言葉に甘えて、事務所の一部を間借りをさせてもらうことになりました。

本当に、みなさんには恩義があります。
この場を借りて、お礼を申し上げたいと思います。

ありがとうございました。
それが、立川五丁目にある高架ぞいの事務所です。

そして、銀行からも融資を受ける事が出来ていよいよスタートです。
自営といっても、ほとんど下請けのような感じでしたが、それでも、まったくの一人でのスタートです。
(わたしはそれで十分だと思っていました。)

そして、その後不思議なことが起きていました。
わたしが、営業部長のもとを離れてから、部長の下で働いていた時のメインの得意先としていた会社が、バタバタと倒産をしていました。

これは、わたしにも分かりません。
理由が分かりません。

わたしが離れたことによって倒産なんてことは考えられません。
本当に不思議です。

作為的なものなのか、それともわたしの過去を消すような行為なのか、全く分かりません。

そして、間借りをさせて頂いていた所も、経営が怪しくなり始め、結局その場所を私が一人で借りる事になりました。
(この頃から求人情報が色々と増え始めてきていました。)

そして、その際、不要になった事務用品をわたしが買い取る事になりました。

石油を入れるポリタンクから、コピー機まで買い取りました。
現在でも、その一部は存在しています。

今も、使用しています。
そして、これが作為的な行為なのか、どうかはわたしにも分かりません。

もし、そうだとすれば、国を動かせる程の大きな組織でないと不可能だと思いますが、ちがいますでしょうか?

そして、わたしが関係した建物や利用したものは全て、そうなっています。

わたしが利用している間は、なにも起りませんが、わたしがピタッと利用をやめると、とたんにそのような状態になります。

小学校は、移転はしていませんが、校舎内の立て替えや配置換えで昔の面影はありません。

中学校は移転しています。
高校は統合し、学校が無くなりました。

それに、今まで利用してきた建物は無くなるか、移転か改装でガラッと変わっています。

建物だけではなしに、山や川の自然も、ことごとく変えられています。
ここまでする必要があるのでしょうか?

なぜ、ここまでするのか?
わたしには、まったく分かりません。

事務所の話にもどりますが、わたしが借りていた事務所は二階です。
下は倉庫のようになっていましたが、そこを綺麗にし事務所として使用できるようになりました。

そこに入ってきた会社が、そのときは、まだ、認識していなかった、集団ストーカー工作のような行動を取っていた会社になります。

パソコンの内容が、盗撮されているような感じでした。
それに、物音から笑い声(高笑いするような)など、なんとなく不気味でした。

どこに行っても、偶然をよそおったように、出くわしたりします。
驚いた事に週末の夜、海で魚釣りをしていたら、その高笑いする声が聞こえてくるではないですか。

えぇーっと、驚きましたね。
わたしが、そちらの方を見ると帰っていきましたが、ビックリです。

こんな事が、頻繁に起きるようになり、大家さん相談するけど、解決もできないし証拠もありません。

仕事の方は、忙しく週に2〜3日は、事務所に泊まり込みで、仕事をしていました。

納期が短納期のものが多く、時間に追われる状況でしたから、泊まり込みで納期に間に合わせていました。

どうしても、下の会社が気になり、結局引っ越しを、余儀なくされてしまいました。

これが、転々と引っ越しをするようになった、原点でもあり、きっかけです。

どこに引っ越しをしても、このような工作が何処でも延々と始ま流ようになりました。

また、引っ越しのくり返しです。

最終的な事務所で、三洋電機の経営が危ぶまれるようになり、その後、パナソニックに吸収され、三洋電機はなくなりました。

鳥取三洋電機さんは、しばらく存続されていたようですが、同じ結果になり、わたしも仕事がなくなり廃業を致しました。

自営だから、三洋電機さんの仕事以外もすればよかったのでは、思われるかも知れませんが、いつどんな仕事が入るか予定が立てられない状態でした。

いつごろ、このような商品が出るというのはわかっていても、わたしの方に仕事の依頼がくるのは、まったくの未定です。依頼があれば、短納期です。

こんな、仕事が何点か重なれば、もう泊まり込みです。
修正も頻繁に、入ってきます。

このメインの三洋さんの仕事を、ほっぽり出して他の仕事をする訳には、いきませんからね。

ですから、この仕事の合間にできる、三洋さんの仕事が入れば、いつでも止める事の出来るネットビジネスを始めたかったのですが、なかなか進めることがで出来ずにいました。

廃業をし、次の仕事を探すために、ハローワークに通いましたが、結局仕事は見つからず、あきらめました。
(この時点で、わたしに仕事をさせないような工作がされていたようです。)

どうも、今までの嫌がらせの関係が続いているのか、わたしに仕事をさせないような雰囲気が見受けられました。

それで、就職をあきらめました。
あきらめたと言うより、させてもらえない、と言った方が、いいかも知れません。

それで、今まで出来なかった、ネットビジネスを始める決心をしました。

ネットビジネスは、長い目で見ないと、なかなかですし、必ず収入が入るとも、限りません。

それで自己破産をし離婚もして、この自宅に戻ってきました。
これが、今までのわたしの、大体の経緯です。

趣味は釣りが好きで、よく海にでかけていました。
今は、やめています。

釣りから、段々と遠のいた原因があります。
これは、どこかで記載しています。

釣り場に向かっているとき、あっこれは、釣りが目的ではないと思われる、若者二人組が、わたしの後ろをついてきていました。

歩いて、もう少しで釣り場に着くと言う所で、急に肩に背負っていたバックのひもが、肩に食い込むような痛みが出だして、立ち止まってバッグをおろしました。

なぜだか、わたしにもわかりません。

しばらく休憩をしてからにしようと、休憩をとっていましたが、不思議な事に、その二人組はわたしを追い越していきませんでした。

わたしも振りむくこともせず、ただ、どうしてこうなったのか分からず、立ちすくんでいました。

そして、再度バックを背負ってみるけども、どうも肩にくい込むような痛みがでていましたが、釣り場も見えているので、我慢しながら、その場所に向かいました。

すると、なんと先客の竿だけが並べて、置いてありました。

しかたがないので、次の釣り座に向かう事にしましたが、その途中、どーもえらくなり、腰をおろして休んでいました。

すると、急に催してきて、茂みの影で出したら、下血でした。

この下血がその場で、2回あり、これでは釣りはできないし、釣りどころではないと判断し、帰ろうと思いましたが、歩くのがしんどい、数歩あるいただけで、動悸がしてあるけなくなりました。

とにかく、もっている荷物をかるくするために、氷、水や餌をすてて、数歩あるいたら休み、また、数歩あるいたら休みを繰り返しながら、やっとのおもいで車までたどり着きました。

車にたどり着いたら、ベターと座り込み、どれだけ時間がたったのかも、分からない状態でした。

車に乗れば、動かすのは腕と足だけで、動悸もなく自宅にもどることができました。

こちらの記事の中に、詳しい内容を記載しています。
 ↓ ↓ ↓
日々の出来事 腰痛を作り上げることも工作なのか?
https://hibi-dekigoto.com/2014/01/25/hibi-dekigoto/3239/

わたしは、二十代の後半に、血を吐き、下血をし入院をしています。
潰瘍で入院をしています。

このときから、ずーと潰瘍との付き合いです。
2〜3年に一回、胃から出血をしていました。

この潰瘍もストレスからです。

そのストレスを解消するために始めた、釣りの釣り場で出血をしてしまったと言うのは、大変残念です。

釣りから段々、足が遠のいてしまいました。
わたしは、いつもこんな感じです。

どこかに、作為的な要素が感じられます。
わたしの望む目標は、豊かさです。

自由な豊かさです。
豊かさも、人によって基準・観点が様々だと思います。

大金持ちが豊かさだと思う人もいれば、自由の豊かさ自然の豊かさも豊かさに変わりありません。

お金には変えられな豊かさもありますからね。
それぞれの考え方しだいです。

一日の労働時間は、2、3時間で、お金が存在しているのであれば、大金を持たなくても、お金に不自由しない豊かさ。

生活に不自由しない豊かさ。
自然の豊かさ。

自然とふれあう豊かさ。
動物と一緒に生活できる豊かさ。

自給自足も出来る豊かさ。

簡単に言えば、古代縄文時代を、そのまま近代的に、変えたような感じになると思います。

枯れ木に花を咲かせる。
(2023年現在は、「愛と調和で花を咲かせる」に変えています。)

花さかさま(hanasakasama)の意味は、私の名前の一部と、逆さまになっても、花を咲かせるという意味をもっています。

今がほんとに、さかさまになりました。
これから、花を咲かせます。

このような、つたないブログにお付き合い頂き、大変ありがとうございます。

とりあえず、一旦はブログの更新を終了させて頂きます。
有り難うございました。
(現在は再開をしています。わたしがブログを止めても工作は変わりないからです。)

今後も、日本全国で、行なわれている、組織的な集団ストーカー工作の早期解決を願っています。

みなさんは、このようなことのないよう、気を引き締めて頑張ってください。

私は、お尻を引き締めて頑張ります。

では、

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